弥栄-いやさかの会

稲作社会と狩猟社会-スピリチュアルコラム【いやさかの会】

稲作社会と狩猟社会

古来の日本人は、稲作を生活の糧とし、村落という共同体を生活の場とする民族でした。

今のように農機具など無かった時代、稲作社会が狩猟社会と異なっていた点は、複数の世帯が対等な立場で協力し合いながら作業を行うことによって、はじめて個々にとって十分な食糧が得られたということです。
もしそこに個人主義が持ち込まれ、各自が自分で食べる食糧は自分の力だけで収穫すれば良いと考えるようになったとしたら、たちまちその地域全体が食糧不足に陥ります。

また、稲作社会では天候や気温といった自然環境の変化が生活に大きな影響を及ぼします。
人々が万物を神の具現化と考え、収穫物を神に捧げて感謝し、自然の営みによって人間が生かされていることの喜びを表現する「祭り」の風習が起こったのは必然でした。
こうして稲作社会の中で、「個人」と「他人」と「自然」とはそれぞれを切り離して考えることのできない一体のものであるとする、いわゆる東洋思想が生まれたのです。

一方、危険性のある動物と戦う狩猟社会では強いリーダーの存在が重要となり、個人はリーダーに対して従順であることが求められました。
稲作社会では共同体意識によって人間関係が形成されたのに対して、狩猟社会では力によって人間関係が形成されていったのです。

共同体意識によって形成される社会では、強いリーダーの存在よりも構成員ひとりひとりが自立していることの方が重要です。
自立した個人の集合が優れた共同体を形成することにつながるからです。
このような社会では、「人のため」にすることは結果として自分のためにすることと同様であることを皆が理解していますから、おたがいに相手の自立のために助け合い、生かし合いながら生活します。

ところが、狩猟文化が発展して形成された今の資本主義経済は、社会の中に「強者」と「弱者」を作り出し、自立できない人々、依存し合う人々を増やしました。
また、資本主義経済は他人と競争をして勝たなければ現実的に生きていけないという、不条理な社会を作ってしまいました。
このような自己中心社会は、「自分」と「他人」と「自然」とを切り離して考えますから、世界に戦争や環境破壊をもたらしたのは必然でした。

先祖代々、稲作文化、すなわち共生社会の中で生きてきたはずの私たち日本人は、もう一度この考え方を取り戻す必要があるのではないでしょうか。

やしろたかひろ
(2005年11月26日)

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