精神世界は現実社会に落とし込んでこそ本物!共生社会を共同建設する「イヤサカの会」のスピリチュアルブログです。

マインドコントロールから解き放たれれば貧困が無くなる

マインドコントロールから解き放たれれば貧困が無くなる

収穫
ゴッホ作「収穫」

世界から戦争が無くならない理由は、経済力の大きさが人の幸せの大きさだと考えて疑わない人たちがいるからです。
お金という有限なものをより多く所有することに至上の価値を置けば、必然的に奪い合いが起こる。奪い合いをする時には、同情や思いやりや人権といった価値観は邪魔になるのです。


私も自分が社会人になったばかりの頃は、お金さえ十分にあれば何でも手に入ると思っていました。
しかし、今はこう思います。人の心はお金では買えないし、また自分の体験を言えば、いくらお金を注ぎ込んでも身近な人の病気を治してやることが出来ませんでした。
そして、思い出したことがあります。自分が福島の農村で暮らしていた幼き時代、そこには協調性さえあればお金が無くても何とか暮らしていけるコミュニティーがあったことです。その頃の私は、お米や野菜はタダで手に入るものだと思っていて、お金を出さなければ買えなかったお菓子がこの世で最も高価な食べ物だと思っていました。

お金は、足りないからといって個人が勝手に製造することは出来ません。
しかし、米や野菜など生きるために本当に必要なものは、土地を耕して栽培すれば増やすことが出来るのです。
日本には地下資源が無いと言われていますが、エネルギーも植物を栽培することで作ることが出来ます。
今の時代はお金が流通しなくなると不景気といって皆の生活が苦しくなりますが、本当は、欲しいものを生産すれば生活が苦しくなることはないのです。


いつしか誰かが、お金を得なければ暮らせない、働く目的はお金を得るためであるというマインドコントロールを世界中にかけ、人々から創造力を奪い取りました。そして、お金を稼ぐことが出来る人と出来ない人とで貧富の差が起こり生活格差が広がったのでした。

しかし、それが洗脳ならば、洗脳されていない人々による対極のグループを創れば良いのです。
お金に価値を置くこと自体が悪いというわけではありません。しかし、今の世界は偏った1極しかないために不幸が起きています。大いなる統合のために、まずはもうひとつの極を創ってバランスを取る必要があります。

第1極は、有限のものを緊張しながら分かち合い、分かち合いがうまくいかなくなったら戦って奪い合う人々のグループです。今の資本主義社会や共産主義社会といったものがすべてこれに該当します。

第2極は、生活に必要なものは皆で生産して充足させることによって、人間性の向上に価値を置くことが可能な人々のグループです。技能や、経験や、人格といったものが、換金されるというのではなくダイレクトにその人の幸せに繋がる社会です。

個人や家族ごとにすべてを自給自足で賄うという意味ではありません。理論的に言えば、その社会の中で生産される物資の総量さえ足りていれば全員が生活していけるはずなのです。そのためには、物をお金で流通させるという考え方を変える必要があります。
お金を稼ぐ能力によって受け取ることが出来る物資の量が決まるのではなく、皆がそれぞれの役割や使命を尊重し合うことによって皆で生きていける社会にするのです。それは、ある意味では協調性が重んじられる社会でしょう。


今年は初っ端から日本のマスコミが大きな矛盾を露呈させました。ベッキーが略奪者扱いされて連日にわたりバッシングを受けたのに、六股疑惑の狩野英孝についてはそれが自由恋愛として容認されています。
両者の違いは、役所に婚姻届というペーパーを提出済だったかどうかの違いでしかありません。婚姻の手続きをした相手と交際すれば人の倫から外れた行為(不倫)として裁かれるが、手続きをしていなければ法で認められた権利者が存在していないので自由であるという考え方が今の社会の常識なのでしょう。
本当に大事なことは法律や手続きではなく、人として人を傷つけないということではないでしょうか?
このように、第1極のもうひとつの側面は法治主義であり手続主義であることです。人間を善と悪とに一律に分ける法律が存在しており、無許可で大麻を持っていたら罪人になるが、戦争ならば人を殺しても違法ではないから許されるのです。

(やしろたかひろ)

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