弥栄-いやさかの会

この世界の片隅に、無名の人々が生きる姿こそが最も感動的

この世界の片隅に、無名の人々が生きる姿こそが最も感動的



私がスピリチュアルブロガーをはじめてから約15年。これまで一貫して訴えてきたテーマが、目に見えない世界と、目に見える世界とのバランスを取って生きるということでした。

目に見えない世界ばかりに意識が偏ると、ややもすると現実否定に陥り、日々の生活の中で体験するごく普通の出来事に感動することが出来なくなってしまう。
そういう人たちが「愛」という言葉を語りはじめると、何を言っているのか意味がよくわからない。

そこで、スピリチュアルが大好きな人たちにこそおすすめしたいアニメ映画があります。

それは『この世界の (さらにいくつもの) 片隅に』

監督・脚本は片渕須直氏。
ある映画評論家は、宮崎駿作品や高畑勲作品を超えていると評していました。

2016年に映画化された作品ですが、現在はDVDが販売されています。
ユーチューブからレンタルや購入をすることも出来ますが、ユーチューブはフルバージョンではありません。



この世界の片隅に


この物語は、広島市で生まれ絵を描くことが得意な主人公・浦野すずの少女時代から始まります。

そして、太平洋戦争の真っただ中に、19歳になった彼女が呉市に住む北條周作と結婚して暮らす話に移っていきます。


この世界の片隅に


現代のように核家族の時代ではないので、浦野家と北條家の両家にそれぞれ数人ずつの家族が一緒に住んでいます。

物語の前半では、小姑の黒村径子に毎日小言を言われながらもそれに対して文句も言わずにやり過ごしていく、けなげな感じのすずが描かれています。


この世界の片隅に


物語の後半で生活が一変します。

日本の戦況が劣勢となり、軍港の街であった呉が頻繁に空襲を受けるようになります。緊張感のある場面が続きます。


この世界の片隅に


そして、すずは黒村径子の娘・晴美の手を引きながら外を歩いていた時に不発弾の爆発に巻き込まれてしまい、衝撃的な展開に!


この世界の片隅に


広島に原子爆弾が落とされたのはその翌年のことでした。
すずは原爆症で病に伏せている妹に会い、両親の死亡を知ることになるのでした。

焼け野原となった広島市内で、すずと周作の前に戦災孤児の少女が現れます。
二人は、その少女を連れて呉の北條家に戻るのでした。


この世界の片隅に


この作品の中には、戦争によって人の命が奪われるシーンがあります。
しかし、他の多くの作品にあるような反戦思想はここにはありません。
さらに、助け合いや物資の分かち合いといったような倫理観の押し付けもありません。

この作品の構成は「サザエさん」に近いと思います。笑えるシーンも多い。
なのに、最後まで観ていると自然に感動が込み上げてくるのです。

食糧の乏しい時代を舞台にし、何度も登場する食事のシーンにこの作品が最も訴えたいテーマがあったのではないかと思います。


この世界の片隅に


すずが闇市の買い物帰りに道に迷い、そこで出会った呉の朝日遊廓の遊女・リンと交わした会話も意味深いです。

「すずさん、死んだら心の底の秘密も、なんも消えて無かったことになる」

「それはそれで贅沢なことなんかもしれんよ」


この世界の片隅に


世界の片隅に生き、後世に名を残すことも無い人々が、それぞれの人生を送ること。
この世界でたまたま同じ時期に生まれて、たまたま出会った人たちと共に日々の生活の苦楽を分かち合うこと。

そこに感動があり、わざとらしくない自然な愛があるのです。
そして、そのことの中に、あの時代の人々にあって現代人が失ってしまったものがあるのではないかと思いました。

人の数だけ、確かな人生の物語があります。
しかし、偉人伝とは違ってそんな人たちが生きていた記録は歳月を経ればどこにも残りません。
永遠ではなく、そして忘れ去られるからこそ、この世界に生きる人々の姿は美しい。


この世界の片隅に


この作品はテレビで実写ドラマ化されましたが、あれは良くなかったです。
アニメだからこそ観る人に想像力を与えてくれます。そして、無名の人々の日常を描くときにプロの俳優が演じてはいけないのだと思いました。

この作品は、アニメ版で出来るだけ大きな画面で観ることをおすすめします。

(やしろたかひろ) 



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