喜界カルデラ大噴火から7300年、歴史がグローカルに転換する時
喜界カルデラ大噴火から7300年、歴史がグローカルに転換する時
約7300年前、鹿児島の南100キロにある海底火山・喜界カルデラで巨大噴火の繰り返しがあり、その火山灰の影響で西日本地域の縄文文化が壊滅したということが研究者たちの定説になっています。
この時に一部の縄文人が避難して海を渡り、中東地域までたどり着いてユダヤ人と交流。この人たちが日本へ戻って来たのが物部氏や大伴氏、秦氏に代表される渡来人だったという伝承があるようです。
この説を取ると、Uターンをして日本に戻ってきた旧縄文人が非常に好戦的で倭国大乱を招き、さらに、彼らが東日本地域で平和に暮らしていた土着の縄文人を武力で征服したという複雑な歴史解釈となってしまいます。
渡来系の人々がもたらした宗教は、縄文文化のシンプルなアニミズム(自然信仰)とは異質のものでした。
それは、「神仏習合」という言葉に象徴されます。
神仏習合とは、仏教がゾロアスター教やユダヤ教、ミトラ教、キリスト教などアジア各地の宗教と習合し、さらに日本の古神道と習合して「全アジア混合宗教」になった概念だと表現することが出来るでしょう。
では、縄文時代の「アニミズム」と、弥生時代以降の「全アジア混合宗教」とを比較した場合に、どちらがパーフェクトに近い信仰だったと言えるでしょうか?
渡来人が大陸からやってきた時から日本が倭国大乱の時代を迎え、そのような内乱が戦国時代まで続いていたことを考えると、私はアニミズムのほうに軍配が上がるのではないかと考えています。
アニミズムでは、人も動物も植物も鉱物も水も、大地に存在するすべてのものは天からの贈り物だと考えるので、物資の奪い合いで争うということが無いのです。
縄文時代の信仰は(自然崇拝・精霊崇拝)であり、祈りの場所はあっても鳥居も本殿もありませんでした。
日本最古の神社は天理市にある石神神社(いそのかみじんじゃ)と言われていますが、かつての石神神社には本殿がなく、禁足地を御本地と称し、祈りの場所としていました。
この神社は、渡来人の中でも初期に日本に入ってきた物部氏が建立したと言われています。
物部氏は、日本に古来から存在する八百万の神々を重んじ、外国の宗教である仏教を受け入れることに反対していましたが、最終的には仏教の布教を進めようとした蘇我馬子や聖徳太子と戦って滅ぼされました。
縄文のアニミズムに由来する古神道はその土地の精霊である産土神(うぶすながみ)を信仰する習慣があり、その意味で特定の地域やコミュニティに根ざした「ローカルな信仰」だったと表現することが出来ます。
しかし、当時は隣の中国に大きな国家が誕生していたため、日本を中央集権化して外国の脅威から軍事的に守るためには、ローカル色の強い古神道は都合の悪いものだったのです。
また、大陸から渡ってきた仏教、すなわち「全アジア混合宗教」を積極的に広めてグローバル化を進め、日本が外国から評価される必要がありました。
喜界カルデラ大噴火が少なからず影響し、空白地帯となっていた西日本地域に渡来人がやってきて勢力を固めたこの時期、すなわち縄文から弥生へ変遷した時期が、日本の社会が大きく反転したタイミングでした。
今、この世の中が、もう一度反転する時が訪れようとしています。
これから、基本的にコミュニティの強いローカル化が始まります。
しかし、まだその先があります。
各地域のコミュニティがインターネットを通信手段として有機的に繋がり、それぞれのコミュニティの強みを補完し合う、ネオ・ローカル&ネオ・グローバルの社会になるのです。
同様の意味で、「global(地球規模の)」と「local(地域的な)」を合わせた「グローカル」という言葉があるようです。
この「グローカル」を完成させるためには、アニミズム思想の復活が重要になると私は考えています。
(やしろたかひろ)
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