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中山康直塾長の講義から - 中庸意識で対立の世界を抜けていく

中山康直塾長の講義から - 中庸意識で対立の世界を抜けていく

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今日は中山弥栄塾の講義の中から、「中庸」についての中山康直塾長の話を紹介いたします。


「中庸とは、宇宙であること」(MANAKAリアリティー)
       ―中山弥栄塾第33回(2016年3月12日)講義より

宇宙は破壊も創造も両方内在してますよね。闇も光も同じように存在させてくれてますよね。
なぜか? 偏ってないから。すなわち中庸だからなんですよ。
この中庸の意識が非常に求められているのではないでしょうか。今や対立が激化しているように思えてなりません。それは国対国、企業対企業もそうかもしれませんが、個人対個人もそうなんですね。
そういう対立と否定と非難の世界に自分が陥ってしまうと、テンションが下がってしまうし、疲れちゃうし、面倒臭いし、大変なんですね。
そういうところから抜けていくという事も、大事なことではないでしょうか。

スマホ

事務局をやっているやしろさんの元には、ネットを経由して僕宛ての色々なメッセージが届けられているそうです。
僕はお気楽様なので、一つ一つ対応する立ち位置にはいませんが、身になるメッセージだったり、有り難い情報だったら素晴らしいことだと思うんですが、そのメッセージの中にはクレームや、場合によっては言いがかりまであるようです。

僕はネットの世界では非難、批判に基づく議論は一切しません。その奥行きがわからないからです。
ここの料亭の料理の味が美味しいか美味しくないかの議論をする時に、その料理を食べていなくて議論できますか。
その人に実際にリアルで会って、ちゃんと議論しないと本当の議論は出来ないと思うんですよ。奥行きの無いネットの世界での議論は無責任になりがちなんです。
そこで酷いことを言われて、さらにそのことが酷かったと反論してしまうと、術中に陥ってしまう可能性があります。

だって、スマホの中のほとんど奥行きの無い、こんな世界でやってるんですよ。
僕は父ちゃんと母ちゃんに申し訳ないので、ご先祖様に申し訳ないので、そんなことで大切な時間を使いたくないです。
縄文人のように自然に繋がってリアルに行きましょうよ。広い世界であなたがひとたび目を開ければ無限の領域がここに存在しているにも関わらず、有限なスマホの中の、それも一部のアプリの中のちっちゃい世界の中で、会ったこともない人が変な事を言っている世界のテーブルに着くということがどれだけナンセンスかわかりますよね。

スルーしましょう。そういうことをどんどん私たちがやっていたら、そのような世界の無力化がなされていきます。
それを言葉で唱えると「天地神仏一体の生き方」って言うんですね。
生きて行くという躍動的な意識と、生かされているという受動的な意識を中庸なる世界で鏡合わせにして、自分は中庸にいるということなんです。

ほっとけ

もっと言ってしまいますね。
自分にとってこの人は本当にいい反応を与えてくれる、刺激を伝えてくれる、この人とコラボしたい、一緒に話したい、もっと時間と空間を共有したいと思ったら、そこに息吹を入れてください。そうするとそのコラボは生きていきます。これが神の領域。
その逆の場合は仏の意識を入れます。すなわち、ほっとくんです。ほっとかないとやって来てしまい、大変なことになります。だからこそ、仏としてほっといてあげるということが崇高な愛なんです。

(編集: やしろたかひろ)

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