女性も被害者に!アルコール依存社会の中で行われ続けるアルコールハラスメント
女性も被害者に!アルコール依存社会の中で行われ続けるアルコールハラスメント
年末年始は忘年会・新年会シーズンということがあり、ブログやSNSに宴会ネタを書く人も多くなります。
私は昨年末にピコハラを取り上げましたが、自己のブログにアルコールハラスメントについての意見を書いた大学生の女性、Mさん(プロフィール名)の記事が目に留まりました。
以下はそのブログからの抜粋です。
私は、過去大学3年になる直前までノンアルコール飲料を含め全くお酒が飲めなかった。
お酒を見るのはまだ平気だったのだが、自分がお酒を口に含むのが怖く、実際にお酒を飲もうとすると頭が痛くなったり動悸がしたりした。
これは成人しても続いた。お酒を飲めるようになった今も正直お酒に対する抵抗感は消えない。
(…中略)お酒が飲めない心理的な理由について簡単に説明したい。
一言で言うと小学生の時に、離婚したアルコール依存症の父親がいるからである。
父親は、酔っ払って1週間家を空けたり、遠方に住む母親の実家をめちゃくちゃにしたりした。これが今もトラウマになっている。
(…中略)大学を入学し、20歳を超えても私はお酒を全く飲まなかった時期があった。
そうなると、周囲にはこんなことを言われた。(陰口も含めて)
「飲まず嫌いでしょ。」「俺も○○食べれないんだけど食べたよ、じゃあ○○ちゃんもお酒に口をつけてみ。」「本当は飲めるんでしょ。」「本当にお酒が飲めないんじゃなくて、お酒を飲めない自分って枠に囚われてるよね。」「こういうの文化部だからかななんか(精神的に)弱いんだよね」
コーラにコークハイを混ぜられたことも一回あった。これを飲んだ日の夜悪夢(夫婦げんかしてるところを見た)にうなされたのも忘れられない。それぐらい私にとってお酒はトラウマだったのだ。
それでも周囲はそんなことを知らず、ただ単に酒が嫌いで扱いにくいヤツとして接していたんだろうと思う。
実際私もお酒を飲めない理由をきちんと話してなかったのも悪かった。
(…中略)
<お酒を強要する人へ>
確かにお酒は飲めた方が楽しい人もいます。ただ、世の中には体質的、精神的、宗教的などの理由でお酒が飲めない人がたくさんいます。
厳しい言い方になるかもしれませんが、お酒を進めてるあなたは良かれと思ってやってたとしても、無理やり飲まされたりするのは苦痛です。
あなたが好意として笑ってやっていることで影で泣く人がたくさんいるのです。
理解するのは難しいかもしれませんが、このような立場の人のことも頭の片隅に入れておいてください。
後、酒の強要は犯罪となる場合があるので注意してください。
<様々な理由でお酒を飲めない人へ>
一言だけ、偉そうな言葉で申し訳ないですが「お酒を飲めないことは悪ではない。あなたが悪いわけじゃない。また、あなたは一人ではない」ということを伝えたいです。
生きにくい世の中ですが、お酒を飲めない人への風当たりは少しずつ弱まってきているのも事実です。
今はまだ大変かもしれませんが、いつかお酒が強要されない世の中になると信じて生き延びましょう。
後、お酒が飲めない場合無理に飲み会に行く必要はありません。
無理そうなら逃げてください。
※引用元: http://brass3241.hatenablog.com/entry/2017/01/02/134327
宴会はみんなで楽しむためにやるものです。
嗜好も体質もその日の体調も全員が一緒であるはずがないのに、宴会の中に弱者を楽しませない雰囲気があるのはなぜでしょうか。
コーラにアルコールを混ぜられて騙されて飲まされたというような体験は、本人の立場からすれば酷く陰湿な行為を受けたと感じたことでしょう。
蕎麦アレルギーの人に食べさせる料理にわざと蕎麦粉を混ぜるような行為がどういうことなのか、大人ならばわかるでしょう。
ピコハラは、職場などで年配の上司や先輩から強要されることが多いハラスメントとして紹介しましたが、アルコールハラスメント(略して「アルハラ」)は、大学生のサークル仲間など若い世代のグループで起こることが多いようです。
社会人になれば仕事に支障が出るような飲酒を職場が奨励しないことと、また、年齢を重ねるごとに自分に対しても相手に対しても体をいたわるようになるのでアルハラは減少するのでしょう。
飲酒の強要や、一気飲ませなどによる急性アルコール中毒の事故は、やはりバブル時代の頃から社会問題化したようです。
以降、毎年のように死亡者の報告が出ています。
主に若い世代で問題になっているアルハラですが、男性社会のネガティブな影響があると思います。
日本では昔から、皆で酒を酌み交わすことが仲間の結束を固めるものだというイメージが吹聴され、飲酒を拒む者は禁欲的であるとか、和を乱す者だと考えられてきた傾向が一部にあります。
また、歴史上においても、勧められた盃を返すことが敵意の表明として行われてきた事例があります。
日本のバブル時代とは、ある意味で近代の戦国時代であり、また個性が否定される男性性の強い時代でした。
問答無用だ、俺たちの仲間ならば根性を見せろ、という軍隊的な精神論がアルハラの根底にあるのではないかと思います。
ところが、このブログを書いたMさんは女性です。今は女性同士の間でもアルハラが行われているようなのです。
また、男性から女性へのアルハラもあるようです。これはヤクザの世界でもありえないことなのではないでしょうか。
盃を拒んで縁を切られるような仲間は、違いを認めない人たちであり、本当の仲間ではありません。
彼女の場合は父親がアルコール依存症で、そのトラウマのためにお酒が飲めなくなりました。
アルコール依存症は、ふだん大人しい人がお酒を飲むと豹変するというケースが多いようです。アルハラも同様に、ふだん自分を抑えているような人がお酒を飲むと気が大きくなって相手をコントロールしようとする、依存症の一種でしょう。
アルコール依存症の親を持つ人たちは、アルコールに依存するような世の中を終わらせるお役目をもって生まれてきているのだと思います。彼女が自分のブログでこのような意見を世の中に発信するのは、必然の流れだっだのかもしれません。
私自身のことを言えば、体質的な問題でお酒はあまり量を飲めません。
それでも私はお酒が嫌いなわけではなく、若い頃にはワインを飲み過ぎて急性アルコール中毒の寸前までいったという苦い経験をもっています。
今の私は自分の適量を知っていることと、自分の健康に気遣わなければいけないと考えているので、自重する決意があります。
社会動向を分析すると、今後様々な種類のパワハラ問題が浮上してくるようになると思います。
男性は仕方がないとは言いません。しかし、女性がアルハラをするような社会は滅ぶと私は考えます。
飲めない人にお酒を強要するのは、人の健康よりも組織を優先しているということです。
せめて女性の皆様には、人をいたわる心を持っていただき、男性たちのそういう暴走を抑制する側に回っていただきたいのです。
そして、男女が協力して、違いを認め合える社会にしたいものです。
(やしろたかひろ)
「空気」を読めと、飲まされて。
作詞・絵: (株)サン・アド 作曲: 中川俊郎