精神世界は現実社会に落とし込んでこそ本物!共生社会を共同建設する「イヤサカの会」のスピリチュアルブログです。

やさしい経済学 ~お金の要らない美しき緑の星へ~

やさしい経済学 ~お金の要らない美しき緑の星へ~

美しき緑の星


物の値段が上がる主な原因は、それが世の中に出回っている量(供給量)よりも、買いたい人の数(需要量)のほうが多くなることです。

逆に、物の値段が下がる主な原因は、それを買いたい人の数(需要量)よりも、世の中に出回っている量(供給量)のほうが多くなることです。

ひとつの社会において、物やサービスの値段が全体的に上昇傾向にあるとインフレといい、全体的に下降傾向にあるとデフレといいます。
ここまでは、皆さん言われなくても知っていることでしょう。


このように、需要と供給のバランスによって物の値段は上がったり下がったりするわけですが、それが必ずしも庶民の生活の実態とは連動してないことがあります。

例えばバブル時代、一部の資産家や資本家たちが投機目的で不動産を買いあさり、その結果、不動産価格は一般の人には手が届かなくなるほど高騰しました。
そのような投機で大儲けした一部の人たちが物やサービスの需要を生み出し、インフレの要因になったということがあります。
富裕層の需要によって景気は良くなり賃金も上がるのですが、賃金の上昇以上のスピードで不動産など一部の物の値段が上がってしまうのがインフレの問題点です。

逆に、近年の日本はデフレが続いたと言われています。
お金を持っていても買い控える人が多いとデフレになります。その状態が続くと産業全体が生産量を縮小せざるを得なくなるので雇用も減ります。これが不況です。
不況になると低所得者や失業者が増えて、欲しいものがあってもお金が無くて買えない人が増えます。そうすると、デフレ→不況という悪循環を生むのです。
デフレ社会では商品が大量に売れ残ります。売れ残った商品が最終的に貧しい人々に配られるのならまだ良いのですが、今の社会はあくまでも物とお金との交換が原則なので、そういう再分配の仕組みはなく、ただ無駄に廃棄されます。生産した物はお金との交換で売るか、売れなければ廃棄するか、いずれかの選択しかないのです。

その社会に全人口を養うために必要な物を生産する能力が十分にあったとしても、お金を持っていない人はそれらを受け取ることが出来ないことが、貨幣経済社会の理不尽な点です。
どんなに勤勉な人であっても、徳の高い人であっても、社会に貢献している人であっても、お金を稼ぐ能力が無ければ不自由な生活を強いられてしまうのです。

全国の空き家は平成25年度調査で約820万戸あります。総住宅戸数に対して空き家率は13.5パーセントです。
一方で、全国のホームレスの数は平成25年調査で約8千人ですから、空き家の戸数はホームレスの数の1000倍あるということになります。
また、これだけの空き家があっても、災害発生時には税金を投入して大量の仮設住宅を造らなければいけないのが今の社会です。

農村

私は、6歳から12歳まで東北の農村に住んでいました。
その当時は、そういう地域にはまだ古き日本のコミュニティーが残っていました。

田植えをする時には、村人全員が協力して順番に一軒一軒の田植え作業をします。
日当の支払いはなく、農作業を手伝ってもらった人は、手伝ってくれた人たちに昼食を振る舞うのです。田んぼの脇にゴザを敷いて皆で青空の下で食事を取ります。子供の目から見るとピクニックのような感じでした。そこで振る舞われるのは、おにぎりとか、漬物とか、手みやげのアメとか質素なものでした。
当時、小学生だった私も、近所の農家で椎茸の菌種の植え込み作業や養蚕の手伝いをした記憶があります。

また、その村では、家を持っておらず経済的に貧しい家族には、空いている旧宅を持っている人がタダ同然の家賃で貸し出します。なおかつ大家さんがしょっちゅう店子に自分の畑で採れた農作物やお惣菜をおすそ分けするなどの習慣がありました。店子は自発的に大家さんの畑で農作業を手伝ったりします。
「大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然」という諺があります。江戸時代には、制度的に借家人には公的な権利や義務がなく、家主がその保証や責任を負ったらしいです。
私たちは教科書に書いてある日本史しか知りませんが、映画「美しき緑の星」に描かれているような精神文化は、意外とつい最近まで日本にあったのかもしれません。

昔の日本人は神社を中心としたコミュニティーを形成していて、人々は神社に集まり、そこで祭りの段取りをしながら村の自治などについて話し合っていました。
そうして人々は鎮守の森を守り、子供達は神社で遊び、そこから自然の大切さを学んできました。
しかし、敗戦後GHQによって日本人を神社から切り離す政策が実施され、神社に集まる代わりに公民館が作られました。


1960年代、ベトナム戦争の最中に発生したヒッピーたちは発展途上のスピリチュアリストでした。
自然に回帰し、お金の要らない共助コミュニティーを構築しようとした彼らの志は高いものでした。
しかし一方で、ヒッピーは基本的に反体制的な考え方に端を発していたので、彼らの中には文明を否定し、自由だけを主張して責任を放棄したり、麻薬に溺れたり、一般社会と摩擦を起こすなどの問題を起こす者がいました。
そういう意味では、当時のヒッピーたちよりも、時期を同じくして私が暮らした日本の農村の人々のほうが精神性が高かったかもしれません。

ロボホン

これからのスピリチュアリストには、文明や新しい価値観を否定するのではなく、新しいものと古いものとのバランスをとった新しいコミュニティーの建設が求められるでしょう。
私たちの魂の成長プログラムの中には、文明や科学を進歩させていく体験も含まれていると思います。人工知能社会の到来に伴って人類の意識をいかに高度化していけるかということが試されているのです。

いずれにしても、お金に人間が振り回されてしまう貨幣経済社会は終わらせなければなりません。

(やしろたかひろ)

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