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愛、会、相、合、藍、曖、哀 …「あい」と読む漢字は人間を表している

愛、会、相、合、藍、曖、哀 …「あい」と読む漢字は人間を表している

夕暮れ


「しん」と読む漢字を並べてみましょう。

神、身、森、心、信、芯、伸、親、真、新、深

自然界と関係のあるもの、しっかりしていて強いもの、崇高なものなどを表す漢字が多いですね。


「あい」と読む漢字はどうでしょうか。

愛、会、逢、相、合、哀、曖、藍

これらは、人間を意味すると私は考えています。
私たちの文化にも関係がありそうです。


「愛」、「会」、「逢」、「遭」、「相」、「合」は人間関係を表しています。

家族

人がこの世に生まれてきた目的とは、人間関係を体験することによって成長することです。

普通に人とあう場合は「会う」
親しい人にあう場合は「逢う」
嫌な人と偶然にあう場合は「遭う」
意見があう、相性があうなどの場合は「合う」です。

私たち人間はこの世に生まれると、まず最初に親と出会い、それから様々な人と出会い、自分と意見や相性の合う相手、合わない相手との関係を体験し、特別な相手とは愛を育むのです。


「あい」と読む漢字にの中は、「藍」というのもあります。
これは一般的に色を表しますが、藍色は日本の伝統的な色彩によく使われてきました。
また、藍はインディゴであり、「真実の自分」「深い自分」に繋がる色でもあります。


「曖」と「哀」は、曖昧の「曖」と喜怒哀楽の「哀」ですが、いずれも人間の感情を表しています。
そして、「曖」と「哀」は、人工知能と人間を差別化する最後の砦でもあります。

人間の感情は繊細で曖昧なものです。もし、曖昧さが無くなって、私たちがすべてを客観的に判断して行動するようになったとしたら、人間らしさがが無くなります。
そして、「曖」という漢字の中には「愛」が含まれており、「愛」と「曖」は深く関係しています。


喜怒哀楽のうち「怒」は「恐れ」と一体ですから、自己の身を守るための本能として多くの生物に備わっている感情です。
それに対して「哀」はもっと高度なもので、高等な生物ほどよく発達している感情ではないかと思います。
そして、「哀」は、思いやり、共感、共生、美などと関係しています。

人と人との出会いがあれば、いつかは必ず離別や死別という別れを体験します。その時、「哀」が沸いてきて人は涙を流すのです。
多くの場合、対象に対して「愛」が深ければ深いほど、「哀」も深くなります。

感情の種類をポジティブなものとネガティブなものにあえて分けて考えると、怒りや憎しみの感情はネガティブなほうに属するかもしれません。一部の動物は、怒りを覚えた時に体から毒を出して相手を攻撃します。人間の場合も、それらの感情が体内に毒素を作るという研究結果があります。
しかし、「哀」すなわち「寂しい」「悲しい」「孤独」「かわいそう」といった感情は決してネガティブなものではなく、大切に扱って良いと思います。涙は心を浄化させます。

機嫌が良くないときに動物は「怒」が優勢になりますが、人間では無垢な人ほど「哀」が優勢になります。
私たちの人生は、感情的に落ち込むような体験とうまく向き合うことで、そこから新しい希望を見つけて、波動を上げていくようにプログラムされているのです。

特に日本人の場合には、人と人との関係だけだけではなく、自然界の四季の移り変わりを見て、哀愁を感じてきました。
感性豊かな日本人は、目に見える有限のものすべてに対して「哀」の感情が沸き、「もののあはれ」という美意識として「哀」を大切にしてきたのです。
本居宣長は、「もののあはれを知ることは同時に人の心を知ることである」と説きました。


精神世界や宗教に関心か強い人は、「しん」にフォーカスしがちです。
しかし、人間としてこの世界に存在している私たちは、まずは「あい」にフォーカスしてこそ魂の成長があるのではないでしょうか。

(やしろたかひろ)



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