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【八雲神社】足利で今年始まる、伊勢と合体するスサノオ神殿の再生事業!

【八雲神社】足利で今年始まる、伊勢と合体するスサノオ神殿の再生事業!

とても暖かい正月でした。
今年は、今住んでいる地元小山市の氏神様である須賀神社をお参りした後、足利市緑町の八雲神社へ向かいました。
主祭神はスサノオノミコトで、牛頭天王が習合されています。
この神社は、869年に清和天皇によって創建された足利の総鎮守です。

八雲神社

ところが、この神社は平成24年(2012年)12月9日、3階建ての本殿や拝殿などおよそ122平方メートルが不審火により全焼してしまいました。
祭神は一時的に神楽殿へ移されましたが、今は仮殿(上写真)に鎮座しています。


そんな八雲神社に朗報が届いたのは昨年2月。三重県伊勢市の伊勢神宮式年遷宮に伴って解体された社を移築して再建されることが決まったのです。
まさにスサノオ。破壊と創造、死と再生の物語が現象化。

八雲神社

この神社は、森高千里さん自作のヒット曲である「渡良瀬橋」(わたらせばし)の歌詞に登場して全国的に有名になった経緯があります。
その森高さんから187万円ほどの寄付を受けたほか、市民などから資金が集まりはじめたことにより、再建のめどが立ったそうです。

江戸時代、八雲神社が伊勢神宮に神鏡を奉納した事実が確認され、伊勢神宮125社のうちの「月読荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや)」の譲渡、移築が決まった。
(産経ニュース 2015年2月21日)

「譲り受けた木材はそれ自体が国宝クラス。通常は社の木材を丸ごと譲り受けることは極めて異例なことなんです。再建に向けてここまでスムーズに進めることができたのは、森高さんと『渡良瀬橋』が、伊勢の人たちも含めて人々の関心を呼んでくれたことが大きかったと思います」
そう語る桜木宮司は、いつか再建した時にまた(森高さんに)足利でライブをしてほしいとほおを緩ませた。
(女性セブン2015年4月9・16日号)

八雲神社 復興再建委員会のホームページ
http://yagumojinjya.com/


 

 

動画の中で森高さんが3番目に行ったところが緑町の八雲神社です。この画像は焼失前のものです。
テロップでは足利市内に八雲神社が3つあると紹介されていますが、実際には市役所が把握している八雲神社が8つあるそうです。ラッキーコード88。

仮殿の裏へ回ると末社が並んでいます。焼失したものもあります。御神木も少し焼けているのではないでしょうか。
火災の跡地なので閑散としていましたが、街の中とは空気が違うと感じました。
そして、大国主像の背後には前方後円墳が!

八雲神社


八雲神社の後ろには古墳群があるのです。やはり、この辺一帯が死と再生の地になっていました。
10基の古墳(前方後円墳と円墳)があり、足利公園として管理されています。

足利公園


『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を』

地上世界に降りたスサノオが詠んだと言われる歌です。

ここは、「八雲立つ八重垣」という言葉にふさわしい場所でした。スケッチブックを手にした青年が目に留まりました。奥のほうからは自由に遊ぶ子供たちの声が聴こえてきました。
何かに守られて、安心してくつろぐことのできる聖域を感じさせ、ずっとここに居たいと思わせる場所でした。

足利公園


ごつごつとした自然の山とは形が違い、不思議な優しさを感じるきれいな丸みを帯びたこれらの丘の群は、墓のイメージを大きく覆すものでした。
樹々の葉が色づいた頃に、また来たいと思いました。

足利公園


前方後円墳の頂上から、八雲神社の境内を観る。

足利公園


こちらは、八雲神社の近くにある足利織姫神社から渡瀬橋を撮影したもの。遠くに小さく見えます。
織姫神社は若いカップルで賑わっていました。
橋の向こうには「ペタンコ祭り」と言われる奇祭で知られる浅間神社のある、足利浅間山があります。

足利織姫神社


「渡良瀬橋」の歌詞の中にある「床屋の角にぽつんとある公衆電話」も現存しています。利用者の減少でNTT東日本が撤去する予定でしたが、市側の要望で撤去が回避されたらしいです。

神社仏閣が数多くあり「東の京都」と呼ばれることもある足利市には、このような旧石器時代の古墳や、日本最古の学校である足利学校の史跡などもあり、日本有数の歴史の街になっています。

(やしろたかひろ)

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