精神世界は現実社会に落とし込んでこそ本物!共生社会を共同建設する「イヤサカの会」のスピリチュアルブログです。

スピリチュアルあるある…1.建前との対立 2.本音との対立

スピリチュアルあるある…1.建前との対立 2.本音との対立

精神世界は現実社会に落とし込んでこそ本物!
今年の私のブログでは、「聖」はそこそこにして「俗」にこだわります。

今日は、スピリチュアルあるあるネタです。

あるあるの一つ目は、スピリチュアルと「建前」との対立です。

江の島

「海へ遊びへ行けるあなたがうらやましいわ。でも、その日の私は仕事が忙しくて行けないのよ。」
・・・と、ある人が言ったとします。

スピリチュアルを一生懸命にやっているような人たちの中には、他人のこういう言葉に対して異様な反応をする人がいます。

「それは自分に対する言い訳ですよ!自分が楽しいと思うことをやるべきです。仕事なんか休んでしまえばいいではないですか。」
・・・こんなふうに切り出して、相手に説教をし始める人がたまにいないでしょうか?
相手から見ると、とても面倒臭いパターンです。


そもそも、人は自分に対して言い訳なんてしません。
相手から何かを促されてそれに対して自分が同意できない時に、相手に対して言い訳をしたり建前を言ったりするのです。

つまり、この会話の場合、「海へ遊びへ行けるあなたがうらやましい」というのは社交辞令であって、この人の本音は「私にとって海へ行く事よりも仕事のほうが大事なのだ」なのです。
人は自分の本音に対して忠実です。本人が本当に海へ遊びに行く事を希望しているならば、言われなくても仕事なんか休んでしまうはずです。

考えていない人と考えすぎる人

同様に、「あなたの生き方は素晴らしいけれど、今の私はこういう生き方しか出来ないのです。」という場合、「あなたの生き方は素晴らしい」というのは建前であって、この人の本音は「私は、あなたの生き方よりも、今の自分の生き方のほうが好きだ」なのです。

「お母さんがいつも一生懸命に家事をしてくれているので今日はお手伝いをしたかったのだけれど、つい遊んでしまった。」という場合、「お手伝いをしたかった」というのは建前であって、この人の本音は「遊びたかった」なのです。

この人たちは全て、発している言葉の中には建前がありますが、実際に行為を起こす選択において自分の本音に従った人たちです。


日本人は、昔から遠回しなものの言い方や社交辞令をうまく使うことによって人間関係を円満にしようとしてきた民族です。
お互いに相手の本音を察知する想像力も持っていたので、そういう本音と建前を含んだコミュニケーションがうまくいっていました。

最初の例で言うと、日本人的な井戸端会議ならばこのような会話になっていたはずです。
「海へ遊びへ行けるあなたがうらやましいわ。でも、その日の私は仕事が忙しくて行けないのよ。」
「あらそうなの。自分の得意なことを生かして自立して生活しているあなたは凄いと思うわ。」

ところが、日本人が外国に行って本音と建前を使ったばかりにトラブルになったという話はよく聞きます。
そして日本人同士でも、スピリチュアルという文化が広がってきてからは、このような日本的な話法が通じなくなってきたように感じます。
私自身、そういう相手に対して遠回しなものの言い方をして、しばらく誤解されっぱなしになって大失敗したことがあります。

本音と建前を使い分けることが良いか悪いかはわかりません。
グローバル化の時代なのだから、そういうややこしい日本文化の継承はもうやめようという意見もあります。
いずれにしても、スピリチュアル系の人と会話をする時には、自分が本気でそう思っていない限りは「うらやましい」「私もそうしたい」「自分を変えたい」「今の自分にはこれしか出来ない」といった言葉を使うのはなるべく避けたほうが良いでしょう。


あるあるの二つ目は、スピリチュアルと「本音」との対立です。

テレビゲーム

これは、おせっかいの過ぎる人です。

引きこもっている人の理由は、引きこもることのほうが楽しいからです。
そのような人は、外にはもっと楽しい世界があることを知らないのかもしれません。しかし、その人にとってもっと楽しい世界があることを知るまでは引きこもることのほうが楽しいのです。

そこそこの年齢になって異性のパートナーを作らずに一人を貫いている人の理由は、一人でいることのほうが楽しいからです。
その理由には、異性恐怖症の場合もあるかもしれません。しかし、その人にとって異性恐怖症が解消されるまでは一人でいることのほうが楽しいのです。

つまり彼らは、自分が楽しいと思うほうを選択して本音で生きているのです。
しかし、スピリチュアル系の人たちの中には、そういう世間の常識から見て普通ではない人を見ると黙っていられなくなり、その相手を叱咤して生き方を変えるように強要する人たちがいます。
自分の好きなことだけをしましょう、ワクワクすることをやりましょうと言いながら、自分の世界観や価値観を押し付けて相手をコントロールしようとするのです。

時によって、価値観の押し付けが良い場合もあります。
例えば、引きこもっていた人が外の世界へ無理矢理引きずり出されて、結果的に外の世界は意外と楽しかったと本人が感じることもあるでしょう。
しかし、各々のパラレルワールドが自立をし始めて独自に成長し始めている今のタイミングでは、強制的な行為は単に大きなお世話でしかないことが多いでしょう。


フラットな立場で、ざっくばらんに自分の本音を語り合える友達は持ったほうが良いと思います。
その場合は、無条件の愛とか万物への感謝といった難しい話は抜きにして、日々の生活や喜怒哀楽をテーマにしたほうが良いのではないでしょうか。
価値観の多様性を認め合い、互いに自立した大人であることを認め合うことが大切です。

難しくて面倒臭いスピリチュアルから、易しくて優しいスピリチュアルへ。
今までのスピリチュアルでありがちな難しい概念のやり取りはなるべく抜きにして、宇宙の法則なんて知らなくても、この世の現実と向き合いながら日々の営みを送っている人々の間で繰り広げられる「哀れみ」や「思いやり」といった人間意識に着目しようというのが、今年の私のブログのテーマです。

(やしろたかひろ) 


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