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心身が健康な「いい加減」の人になるということ。

心身が健康な「いい加減」の人になるということ。

UFO

先日、吉祥寺で開かれた中山康直さんと秋山眞人さんのコラボ講演会を聴講してまいりました。
吉祥寺は過去に私が通学していた街であり、私にとって馴染みの深い街です。また昔、日本でヒッピー文化が芽生えた街でもあります。
中山康直さんと秋山眞人さんは、宇宙人とコンタクトしUFOに乗船した人たちです。一般的に知名度が高いのはマスコミによく出ている秋山さんのほうだと思いますが、秋山さんは中山さんのことを「精神世界一の風雲児」だと評しています。
UFOのことについて人の生き方と絡めて話をすることが出来るお二人のコラボ講演は、とても深い内容のものでした。
その中でも興味深かった質疑応答の一部を以下にご紹介いたします。


Q:UFOとは、どのような原理で動いているのでしょうか。

生きているUFO

中山 「僕がメキシコで乗った宇宙船は、なんと生き物だったんですよ。
それに基づいてわかったことは、例えば、ここに女性の方々がたくさんおられますが、嫌いな人を自分の上に乗せることができますか? そういうことなんですよ。馬やイルカと同じで、相手にも意思があるということです。」

秋山 「アダムスキータイプの古い型のUFOというのは、明らかかにボルトとナットなんですよね。しかし、今のUFOというのは、ミミズのようにぐにゃぐにゃしたのが飛んでいたり、クラゲのようだったり…、生命的なUFOを見る人が圧倒的に多くなっている。
ただ、アダムスキータイプのUFOにも背骨があって、クリスタル・スカルがあり、七つのチャクラがありました。
UFOのボディは、我々の想念に反応して、我々がどう見たいかという思いと、彼らがどう見せたいかという思いのぶつかり合いが具現化するという、とんでもない構造になっているんですよ。
実は、我々はひとりひとりがこの肉体というUFOを操縦している宇宙飛行士なんです。」

中山 「何年か前に鳥取で行ったワークショップの最中に全員で見たUFOは、カニでした。カニが横歩きで空中を移動していました。
海を反転させて見ると空になります。だから、深海の生物やイカやクラゲはそういうものを表現しているのだと思います。」

Q: UFOに乗るにはどうしたらいいのでしょうか。

秋山 「僕には今、何年か先にはここにいるメンバーと一緒に大きな母船の中に乗って会話しているというビジョンが凄くあるんですよ。こういう時間を共有できるということは重要なことなんだと思うんです。今までの講演会では、ここまでの話になったことは無かったと思います。」

中山 「MANAKAリアリティーでは、これから"物"こそが最も霊的な世界になると言っています。ということは、物質と霊的なものを一体化させるというのが私たち人類の共通テーマとしてあるようで、宇宙船というものは生きているし物でもあるから物と霊の究極的な融合じゃないですか。
これからは、物こそが最も霊的であって、世の中には心や魂が宿っているものしか無いと私たちが認識する社会になっていくと思うんです。それはクリエイティビティーな社会です。創る歓び、産み出す歓びです。そのことが、UFOに乗るには?という問いの答えとも連動するんじゃないかと思うんです。」

秋山 「UFOは想念の鏡です。我々は内と外、物と霊を分けたくてしょうがないんです。
我々は自分の肉体を受け入れるだけで大変な努力をしている。自分の体こそがUFOであって、こいつに自分がちゃんと乗っていられるかという確認が、(空を飛ぶ)UFOに乗るということに映し出されるのです。」


この講演会の中で秋山さんが、これからは言葉にフォーカスしなければならないと仰っていました。「超能力」という言葉がしっくりいかないらしいです。
私も以前から、「スピリチュアル」という言葉を何とかしたいという強い気持がありました。カタカナ文字にしてしまうと、人によっては胡散臭く受け取られてしまいます。かといって「精神世界」という言葉には「世界」という文字が入っているがために日常世界とはかけ離れた別の世界のようなイメージを与えてしまいます。
今のところ私は、「スピリチュアルとは、私たちの目に見える日常生活の中で繰り広げられている精神活動のことである。」と理解しています。

中山さんから、「物」こそが最も霊的な世界であるという話がありました。物とは三次元で見える現象のことです。もともと日本人は、万物に霊が宿っていることを知っていた民族です。
鉱物にも意識があるとすれば、生き物と鉱物との違いは精神活動の活発性にあると思います。それは、人間と創造主との違いでもあるかもしれません。
精神活動が活発になると、好き嫌い、馬が合う合わないという感情や相性が生まれてきます。この講演会では、UFOがそういった生き物に近いもの(無重力生命体)であるということが明確にされました。

私たちは天から落とされて母体を通過してこの宇宙に生を受け、穢れにまみれて人生という体験の旅を始めます。 
「穢れ」とは、善または悪、利他または利己、ギブまたはテイクというように、分裂した両極の一方だけに偏った人間の生き方のことを言うと私は考えています。
そういうことを体験するのが人生という旅であり、そして、その旅は精神活動や感情といったものが伴わなければ行うことが出来ません。

転生の最終ゴールが創造主に戻ることであるならば、人生の目標は、利他や博愛へ向かうというような偏った方向性ではないと思います。
「利他と利己」の対義語が「いい加減」です。左脳の理屈ではなく、右脳の直観で感じることの出来る、ちょうど良い加減が中庸であり、いかにいい加減、すなわち中庸に生きることが出来るかが試されていると思います。
本当の意味でいい加減に生きると、その人の周りの人たちもハッピーになります。「いい加減」が「ワンネス」につながります。
UFOは、いい加減の人が好きなのではないでしょうか。

では、いい加減の人とは具体的にどういう人なのかですが、それは秋山さんの言うように、自分のボディという地に足の着いたUFOにしっかりと乗船出来ている人のことなのでしょう。
そういう人は自分の生き方に確信と自信を持っているので、自分にも相手にも最大限の自由を認めることが出来ます。

人間としてやってはいけないこととは、自分や相手を故意に傷つけることだけです。つまり、私たちがいつもが乗船しているボディ(脳を含む)というUFOを大切にすることだけを共通認識としなければなりません。
それ以外のことは何をやっても自由であることを、自分にも相手にも認められる人が地に足の着いた人であり、空を飛ぶUFOの乗船チケットをもらえる人なのではないかと思います。しっかりと地に足が着くと、次はその勢いで空飛ぶ有機体のUFOに乗れるわけです。
「ねばならない」「してはいけない」というのが宗教の世界です。法律や道徳とは、その国、その地域に住む人々が左脳の頭で考えて作った決まりに過ぎません。それは宗教の教義と一緒です。国によって、地域によって、民族によって違う決まりは、普遍の真理ではありません。
今の社会はアベコベの社会です。普遍の真理ではないことを正しいことだと考える現代人は、いわゆる常識人であるのですが、実は地に足が着いていない人たちなのです。

(やしろたかひろ)

空飛ぶカニ


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