聖徳太子コード ダイジェスト 中山康直
中山弥栄塾 2016年4月10日収録
中山康直氏が臨死体験で見た5つのエピソード
1.薩長同盟
2.本能寺の変
3.大化の改新(クーデター)
※以上はNo.1603「NEO縄文の復活、臨死体験で見た日本史の真実」を参照。
4.聖徳太子
5.縄文時代
大化の改新の立役者・中臣鎌足は百済からやってきた人で、日本の中枢に入ったエージェントであった。
日本の神事や祭事は中臣家と忌部家が協力して行っていたが、大化の改新によって忌部氏は排斥され、藤原の姓となった鎌足が自分のものとするようになる。
延々と続いた日本の文化や伝統を無くし、大陸的にしてしまおうとするクーデターが大化の改新であった。
以降、それまであった古史古伝の中に位置づけられていた竹内文書、ホツマツタエ、宮下文書、先代旧事本紀などは荒唐無稽のものとして取り扱われるようになり、古事記、日本書紀が編纂されてこれが最も権威ある書物と位置付けられた。
同時に、表舞台から去った忌部家の根城で麻の聖地でもあった四国には八十八か所が制定され、四国は死国とされた。
(大化の改新の際に、かつて聖徳太子と蘇我馬子によって編纂された歴史書とされている天皇紀と国記も消失したといわれている。)
中山康直氏が見た聖徳太子は、頬被りをしてお面を付け、黒いマントを羽織り、ダースベーターにそっくりな出で立ちであった。
後頭部に星がひとつ、背中に星が七つあり、北極星と北斗七星が刺繍されているようであった。
中山氏は竹内文献の研究者であった故・高坂和導氏と活動を共にしていた当時、高坂氏から「聖徳太子にだけは触れるなよ」と警告を受ける。
聖徳太子が行った事柄をまとめたものが先代旧事本紀大成経である。
この中に北極星と北斗七星の話があり、人類は太陽信仰、月信仰と並べて星信仰を行っていかなければ宇宙信仰にならず、地球の歴史が途絶えてしまう可能性があることが示されている。
さらにこの中には太陽神の本体であるニギハヤヒとそのパートナーであるセオリツヒメが登場し、さらにニギハヤヒとセオリツヒメは道の奥、すなわち「みちのく」にお隠れになるというエピソードも描写されている。
大化の改新の際に東北の地に逃れて修験道の世界に入り、出羽三山の開祖となった蜂子皇子は聖徳太子のいとこであった。
彼は聖徳太子が成し遂げようとしていた星信仰を現実の世界に落とし込み、その教えを修験道の中に入れ込んだのである。
聖徳太子が亡くなり12年後に産まれたのが、役行者(えんのぎょうじゃ)であった。
中山康直氏は、聖徳太子はペルシャ人であり、ゾロアスター教の中にあった星信仰を日本に持ち込み、応神天皇の時に途絶えてしまった日本の星信仰を復活させながら宗教を超えた宇宙信仰をつくろうとした存在だったと結論付ける。
ゾロアスター教は善悪二元論と終末論を特徴とし、仏教の中では妙見菩薩信仰に繋がった。
現在の中山康直氏は、聖徳太子の「未来記」に記された終末予言を回避する手段として、北極星を天皇陛下に重ね合わせて敬う星信仰の布教活動を開始している。
聖徳太子は蘇我馬子と共に挙兵して縄文時代から続いていた八百万の神を信仰する物部氏を滅ぼし、仏教(ことに妙見菩薩信仰)を広めて天皇を頂点とする中央集権国家の確立を目指した人物である。