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池袋北口公衆トイレの神様 ……私の「切断」体験。

池袋北口公衆トイレの神様 ……私の「切断」体験。

切断

コリーヌ・セロー作「美しき緑の星」の中に、日本語訳で「切断」という言葉が出てきます。

緑と水がきれいな星から白い球体のUFOに乗って飛び立った宇宙人の女性"ミラ"が、パリの雑踏の中に降り立ちます。彼女が地球人に対して切断のプログラムを実施すると、その相手は瞬間的に強い衝撃を感じて体が後ろに反り返ります。
するとたちまち人生観が変わり、ある人はそばにある木を抱きしめ、またある人は靴を脱いで裸足になります。とても頑固だったエリート医師は、生命の誕生という根源的な事に興味を持つようになり、さらに、つまらないことで腹を立てている人を見て「この地上では5人に4人が餓死しているんだ。空爆のために地下室で暮らす人たちも。だのにあんたは…木の葉を見上げたことがあるか?」と諭します。

切断とは、心の断捨離のこと。
すなわち、執着や思い込み、物質的な欲望といった心のゴミ屋敷から解放されると、人は命の創造とそれを育むことの素晴らしさに気づくのです。


今日は、切断現象は実際に起こることなのだという話です。
私はこの映画を観て、自分にこの映画と同じことが起きたことを思い出しました。30代になったばかりのあの日、自分が切断されたことを理解したのです。

私は切断体験の後、意識的なハイテンション状態が約2年間続きました。その期間は、自己のハートのチャクラに宇宙からビーム光線が送られてきて、昼間でも就寝中でも四六時中照射され続けているような感覚がありました。さらに、透視能力の発動がありました。例えば、目隠しをして、5色のビー玉を色分けすることが出来ました。

ところが、その後に私の生活環境が一変した時から状況が変わりました。
情緒不安定な妻と結婚をしたことで、強制的に自分の意識が現実に戻されたことが原因で、再び「接続」が始まったような状態になってしまいました。それまで続いていたハイな意識も、ビーム光線も、透視能力も徐々に失われていきました。

以下は、私が切断を体験した日に起きたことです。


池袋

1994年1月12日、冬の夜のことでした。
そこは神社でもなければ、水や空気のきれいな森でもありません。いわゆるパワースポットなどと呼ぶには程遠い、奇跡など起こるはずもない無機質で雑然とした場所です。
東京・池袋北口の繁華街でした。私はネオンに照らされながら、意気消沈してそこを歩いていたのでした。
そして歩き疲れた私は、一人で引きこもろうと思い、駅北口の線路沿いにあった公衆便所に入ったのです。時間がかなり遅くなっていたので、中には誰も居ませんでした。

そこに入った時、私の脳裏に「諦めよう」「このままの自分を受け入れよう」という気持ちがふと横切りました。
……その瞬間でした。
太くて、暖かくて、柔らかくて、しかし強烈な、電気のようなものが私の後頭部のあたりから背骨を通り腰の方へ向かって“ズドン”と勢いよく入ってきて地面に抜けていったのです。
私は、その衝撃で一瞬体が傾き、倒れそうになりました。

それと同時に、自分の意識の中に何とも言えない歓喜の感情がこみ上げてきました。さらに、自分の体が今にも宙に浮くのではないかと思うほどに軽く感じました。
私は嘆きの涙を流すためにここに入ったはずなのに、それが反転して理由もない感動で涙が止まらなくなってしまったのです。

その涙も枯れないうちに、汚物で酷く汚れているひとつの便器が目に留まりました。
それを見た時、「これは自分だ!」と思い、また歓喜したのです。
「この便器は、不必要なものを流しもせずに大事にたくさん抱え込んで、こんなに汚れて醜くくなっている。これは今までの幼なかった自分だ!なんて可愛いんだろう!」
私は、汚物まみれの便器が自分自身であり、また幼子の我が子でもあるかのように愛おしく感じられ、しばらく釘付けになってそれをじっと見つめていたのでした。
次に、その便器を素手できれいに掃除してあげたいという願望がよぎりました。しかし、私にはまだ少しだけ冷静に考える思考が残っていて、それはやめることにしました。

チラシ

その代わり、この便所の壁をきれいにしようと思ったのです。壁一面には、ピンクチラシが隙間なくぎっしりと貼られていたのです。私はそれらを一枚、一枚、ゆっくりと剥がしはじめたのでした。
壁が少しずつきれいになっていくプロセスに感動しながら、私は黙々と続けました。全部で200枚ぐらいはあったでしょう。ついに壁のチラシがすっかり無くなったので、私はその場を出ることにしました。


再び深夜の寒い街の中へ出ましたが、私は歓喜が収まらずハイな状態。体の無重力感がまだ続いていたので、無性にスキップがしたくなりました。
そして、私はスキップをしながら街を駆け出しました。宇宙飛行士が月面でフワフワと歩いているような感覚でした。

スキップ

後ろから数人の笑い声が聞こえてきました。私の格好を見て可笑しくて笑ったのでしょう。そうしたら、その人たちが自分の後を付いて来るのを感じました。彼らはしばらく私と一緒に行進をしていたのです。
途中で、彼らが私のことを面白いと言っている会話が聞こえてきました。私は一度も後ろを振り返らなかったのですが、その会話が聞こえた時に彼らがゲイであることに気づきました。
ここは池袋のロマンス通りや風俗街が近くにある場所。ゲイバーもあるでしょう。

気がついたら、いつの間にか夜が明けていました。空は明るくなり、街は徐々に人通りも増えてきました。
その時、街角に座り込んで悲しそうに塞ぎ込んでいる、歳は30代ぐらいの一人の女性がいました。私は無意識にその女性に声を掛けていたのです。
「こんなに朝日がきれいなのに、どうしてそんな顔をしているんですか?」
ちょっとお説教口調になっていたと思います。そうしたら、彼女が黙って私のほうを向いて、涙を一粒流したのを覚えています。

パリ

その日から、長い間抱えていた私の持病は治っていました。
もしかしたらあの時、私は、パリではなく東京の雑踏の中に降りた美しき緑の星の住人とすれ違い、切断のプログラムを施されたのかもしれません。

この体験の後、冬の枯れ木、雪道、そして冷たい風など、私は何に対しても美しいと感じるようになりました。
また、金子みすゞの詩集を読んで感動しました。特に「はちと神さま」という詩には、歓喜しました。

これが、8年程前から私のプロフィールページの中で公表していた「自己の身体的な問題が一気に解決してしまう体験」の詳細です。


私には昔、童話を書く趣味がありました。しかし、この体験をしてから書けなくなったのです。それは、フィクションよりも実話のほうがずっと面白いと自分が感じるようになったからだと思います。
この体験がきっかけとなって、私の人生観は大きく変わりました。しかし、それが自己の人生哲学としてうまく整理されるまでには歳月を費やしました。
生活環境の変化の問題もありましたが、新しく入ってきた観念がそれまでの自分の生き方とはあまりにも違うものだったために、消化するのに時間を必要としたのだと思います。中山康直さんとの出会いがその整理に役立ちました。
時間を掛けてようやく私の中でまとまった人生観は、「人間は命を輝かせるために生きているのだ」という実にシンプルなものでした。それ以外の価値観は、すべて断捨離の対象にしてよいものだと考えています。

(やしろたかひろ)


私が切断を体験した実際の場所です。JR池袋駅北口。今はこのトイレは建て替えられてきれいになっています。

公衆トイレ


当時美しいと感じて思わずシャッターを切った大宮公園の冬の枯れ木。花は付いていません。

大宮公園

当時最も感動した金子みすゞの詩。

はちと神さま

はち

はちはお花のなかに、お花はお庭のなかに、
お庭は土べいのなかに、土べいは町のなかに、
町は日本のなかに、日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに。

そうして、そうして、神さまは、
小っちゃなはちのなかに。


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