2015年4月25日ネパール大地震の池間哲郎氏支援活動
2015年4月25日ネパール大地震の池間哲郎氏支援活動

4月25日にネパールでマグネチュード7.8の地震が発生し、大きな被害をもたらしました。
ネパールは歴史・文化が非常に素晴らしい国ですが、世界最貧国のひとつです。人々が再び安心して暮らすことが出来る状態に戻るまでには、まだまだ時間が掛かりそうです。
昨年から私も賛助会員として参画させていただいている「アジアチャイルドサポート」が、現在ネパール支援に尽力しています。
代表の池間哲郎氏は、教育こそが貧困から抜け出せる道との信念から、アジアの各地で学校建設を中心に様々な支援活動をされてきた方です。奥様と共に行動され、決して上から目線にならずに、その土地の人々と一緒に同じもの(日本人から見ればゲテモノと呼ばれるようなものを含む)を食べながら、人々の生活の中に入ってフレンドリーに活動を続けてこられました。
このような活動をされている中で、池間氏はアジアの長老たちの中に親日家が非常に多い事に気づきました。そのことがきっかけとなり、戦前・戦中の真実の日本史を研究。昨年は「日本塾」というセミナーも開講されており、私はそれの塾生でした。昨年に私がまとめた日本史の情報源の多くはその講座です。
http://www.yaei-sakura.net/index.php?society
私と名刺交換していただいた際には、「大麻抜きには日本を語れない」とおっしゃっていただいて、固く握手をしていただきました。
海外からネパールへ支援金や支援物資が送られてもなかなか必要な人へ届かないという報道もありましたが、この団体こそが私たちの浄財を確実に届けてくれるものと私は信じております。
このような緊急時に、愛のエネルギーだ、祈りだと言うのはきれいごとに過ぎません。皆様、ぜひ行動することをご検討ください。経済的に余裕の無い方は、この情報を貴方のブログ、ツイッター、ラインなどでシェアしていただくだけでも結構です。
アジアチャイルドサポートは認定NPO法人ですので、寄付をした場合には税金控除が受けられます。
以下は、池間氏の日記からの転載です。
(やしろたかひろ)
池間 哲郎
2015.4.26 「ネパール」の地震 無事を祈る
25日にネパールでマグネチュード7.8の地震が発生し、これまでの情報によると2000人を超える人々が亡くなった様です。震源地はカトマンズの北西80キロ付近で、私達(ACS)の活動地域でもある。
大都会のカトマンズでは多くの住宅や歴史的建造物が倒壊してしまった。以前から「この町に地震が来ると大変な事になる」と危惧していた。住宅の建築方法が日本では考えられない程、雑で簡単なやり方。レンガを積み上げただけの4~5階建ての建築物が多い。鉄筋の数も少ない。「地震が来ると一発でつぶれる」との不安が現実となってしまった。
未だ現地との連絡が取れぬ為、情報はマスコミ報道に頼らざるを得ない。
2015.4.27 職員は無事でした。されど!
やっとネパールとの連絡が取れました。現地職員の「サンガット」と「ラジブ」及び家族は無事です。
ラジブの自宅は鉄筋コンクリート製の頑丈な建物故に大丈夫な様です。サンガットの自宅は残念ながら全壊。家族が無事だったのがせめてもの救い。現在テント暮らしですが食料が全く無いとの事。地震発生時から何も食べていない。
恐怖情報で民衆の心は不安でイッパイと言います。「余震がまだまだ続く」「もっと大きな揺れが来る」との、口から口の伝達で異常なパニックも発生中。暴動、略奪も起きている。カトマンズの治安は以前からかなり悪いのだが、さらに恐怖の為に悪化しているとの事です。
アジアチャイルドサポートも援助体制に入ります。預かっている孤児や女性達の安否を確認中。何とか無事で居てくれれば良いのだが。
2015.4.28 動かない!予算の組み立てから
ネパールの悲惨な状況がドンドン入って来る。すぐに飛んで行きたい想いが溢れるのだが「まずは動かない!」のが大事。
震災直後の被災地は混乱の極みに陥いる。現地の行政、軍隊、警察、海外からの援助部隊等が初動を行う。交通、通信も遮断、混乱中。民間の団体が入っても邪魔になるだけかも知れない。情報収集に徹しています。されど国際電話はすぐに切れてしまう。ネットもなかなか回復しない。何とか現地職員から写真などの報告が入って来たのだが、その映像は痛ましい。
現地支援の「予算の組み立てが最重要事項」アジアチャイルドサポートとしても莫大な援助金額となる可能性が高い。お金をどのように造って行くかと頭が痛い。それでもやらねばならぬ。
皆さんの協力を得る為に本日中には「ネパール大地震援助金」の振込口座の案内を行います。どうか宜しく御願い致します。ACSが支えるHIV施設に暮らす女性や子供達の状況が未だに解らない。パンチカールの「女性センター」に通う人々の現状報告も入って来ない。不安はつのるばかり。
2015.5.3 「日本」とは違う!
海外(全てでは無いが)の支援に於いて注意するのは「個人的に物資を配らない」ことです。日本の様に秩序が保たれ整列をし順番を待つ習慣は無い。支援物資を安易に届けると奪い合いになる可能性も高い。集落の代表者や村長と話し合い、その「長」と共に物資をお渡しした方が良い。
昨日「パンチカール」のチェアーマン(長老)と連絡がついた様です。住民の家屋は、ほぼ壊滅状態で多くの人々はテント暮らしを余儀なくされている。テントの有る家族は、まだイイ。竹を張り毛布を上に乗っけただけの小屋で避難生活を続ける人々も多い。
食料、水、生活用品などの緊急支援に入ります。支援物資のネパールでの購入、寸断された道路での輸送、人員確保(輸送の為の)等など問題も山積み。それでも出来る事はやって行く。
私が代表をつとめる「アジアチャイルドサポート」は大きな力が有る訳では無い。災害の大きさに比べると出来る事は小さい。支援物資の届かない田舎の村「パンチカール」と「マハンカール」等に力を結集します。「貴重な浄財」は確実に現地へ御届け致します。
2015.5.5 学校が避難所
皆さんの善意で建築された学校が「避難所」として非常に役立っています。ヒンズー教、身分差別に於ける最下層階級の村に学校が完成したのは4年前の事。
村で一番立派な建物が「学校」でした。今回の地震でも被害は無し。村人達が暮らす住居の多くは半壊及び全壊。残った家も、いつ崩壊するか解らない。人々は学校前の広場でテント暮らし。そして子供達は教室で寝泊まりしている様です。
物資調達、搬送とかなり苦戦しております。田舎での支援活動は道路が寸断されている状況も多く簡単ではない。
2015.5.11 まずは食料と毛布
大地震発生から2週間が過ぎた。恐怖の日からしばらくの時が過ぎ人々の表情にも落ち着きが戻って来た。認定NPO法人「アジアチャイルドサポート」の素早い動きは多くの被災者の皆さんに安心を与えたのも間違いない。
「緊急事態だ!とにかく急げ!」と田舎のパンチカール、マハンカールなどの被災地へすぐに入り最低限の緊急物資を届け、そして「必要な物」を調査。都会へ戻り「物資調達」となるも混乱状態と物資不足で困難を極める。通信事情の混乱は今も続く。現地職員との連絡が、なかなか取れない。昼間や夜間の通信は全く不可能。日本時間のAM3時〜AM5時頃は何とか電話は繋がるもスグに切れてしまう。途切れとぎれの会話を繋ぎ合わせ現地状況を把握するしか無い。
「まずは食料!寒さを凌ぐ毛布!」をと小型トラック(大型トラックは通行不可能)を数台確保、ピストン搬送で届けております。村々では「日本の皆さんありがとう」との声が湧き上がってるとの嬉しい報告も届く様になって来た。後日、ご報告させて頂きます。
多くの日本の皆さんから預かった「浄財」の全額(事務局経費には使いません)を確実に被災地へ御届け致します。信頼して御任せ下さい。
2015.5.12 支援物資を届ける事の難しさ
支援物資を被災地に届ける時には緊張感を持って配るべし。日本の様に列を成し順番を待って受け取る習慣を持つは稀な事。安易に手渡して行くと群がって来てつかみ合い引っ張り合いになってしまう。
ラジブ(アジアチャイルドサポート現地職員)が防水シートを配っている状況だか、側には銃を持つ警察官が立ち、前には屈強な男が整列と順番を促す。安全にとの充分な気配りだろう。ネパールの方々は穏やかですので不安は無用かもしれないが、やはり慎重さが必要。ネパール大震災に於ける暴動略奪は発生していませんが、小競り合いは起きているとの報告有り。
昔の話しだが、私には苦い体験が有ります。カンボジア、プノンペン郊外集落での出来事。ゴム草履8,000足を現地でお届けした際、当時、何も知らない私は列を作り順番に手渡せばと甘い考えだった。ところが!一瞬にして物資に群がり大混乱となった。奪い合いは目を覆う。中には血だらけの方もいた。その後、地域行政、警察にどやされた。この出来事は全て私の責任。恥ずかしい限り。
2015.5.13 支援物資は順調に届けております
多くの方々から浄財を御預かりしました。この「見返りを求めない無償の愛」は確実に届けております。信頼して御任せ下さい。
ほぼ全ての家屋にヒビが入り、家の中では暮らせない状況。テントか廃材やトタンで造られた小屋で多くの人々が外で暮らしている。雨が降るとびしょ濡れになってしまう。
「防水シート」が絶対的に必要と判断。どんどん各家庭に届けております。「助かった」との声も数多く届く。「日本の皆さん!有り難う」との想いを伝えてくれるも将来に対する不安で表情は曇る。出来る限りの事をやるしか無い。
2015.5.14 食糧援助
食料が全く無い家族も多い様です。特に主食である「お米」がゼロ状態の家庭も。被災地のリーダー(村長や地域長など)と相談をしながら本当に困っている家庭に対し「お米」の援助も続けております。
2015.5.15 少しは笑顔が戻って来た
大規模な余震が起きている様で被害状況は深刻度を増している。ひび割れた家屋が余震により全壊したとの報告も受ける。
支援物資の防水シートを手にする被災者の皆さんの表情を見ると大変さが伝わってくるも、一部、笑顔も戻っている。人々の後ろに建つ家屋も、ほぼ使い物にならないだろう。外での暮らしはまだまだ続く。
2015.5.16 当分は耐えるしか無い!
自宅に戻れない状況は当分続くと思われます。外でのテントや防水シートで囲われた小屋での生活をせざるを得ません。アジアチャイルドサポートは民間団体に過ぎない。出来る事は限られている。それでもやって行くしか無いと覚悟を決めております。
皆さんから御預かりした寄付金の集計はまとまり次第、後日FBやホームページで発表させて頂きます。募金額、件数をキッチリとお知らせ致します。
2015.5.18 改めて恐怖を感じる
認定NPO法人アジアチャイルドサポートが支える「HIV保護施設」はカトマンズの中心地に有ります。その施設には30名近くの女性達と10名余りの子供達が(新規入居者と体力を取り戻し社会に帰る皆さんが居ますので人数の変化有り)が暮らしています。現地から送られるカトマンズ市街地の被災状況の写真を見る度に「よくぞケガ人も死亡者も無く、全員が助かったな〜」と思います。
2015.5.19 届ける事の大変さ
支援物資を運ぶにも道路が寸断された地域も多い。車が入らない場所は人力で運ぶしかない。
本日、認定NPO法人アジアチャイルドサポートの本部職員(日本人2名)が現地入りします。「すぐに現地に飛ぶ」行動を私が禁じています。震災直後は現地の警察、軍隊、役人、地域住民が初動となります。そして外国からの援助部隊が入る。その後に民間団体が応援に入った方が良いとの考えです。これまでの経験で、すぐに入ると迷惑な状況が多いのを知っているから。まず日本側がやる事は「支援金を募る」こと。「愛さえ有ればは絵空事。お金無くして何も出来ない」が私の考え方。現地には当団体の職員が居ます。ネパール側は震災直後すぐに支援活動に入り、日本側はすぐに「支援金を御願いする」アクションを起こしました。そして多くの被災者の皆さんが助かっております。有り難う御座います。
2015.5.21 日本チーム大活躍
自衛隊の活躍も絶賛されたが、日本政府から派遣された「ネパール支援日本チーム」に対しても大きな賛美が渦巻いていると言います。
とにかく懸命に救助、支援にあたる。日本人の誠実さと真剣さにネパールの皆さんが感動している。「日本人として誇りに思います」有り難う御座います。
2015.5.22 田舎へ帰る人々
地震の恐怖と被害により、カトマンズから田舎へ戻る方が非常に多い様です。都会の人口は激減しているとのこと。
2015.5.23 食事の準備も大変
テント暮らしは、これからも続く。野外での食事の準備は大変。お母さん達の苦労は並大抵では無い。
(以上写真 現地職員・ラジブより)
2015.5.27 「ありがとう」
当団体日本人職員が現地入りし被災者からの個人的な声も届く様になって来た。自宅が全壊の状況となったケサブさんは、ずっと「日本の皆さんに感謝します」「ありがとう」と何度も言っていたそうです。
「現場が教えてくれる」が私の考え方。やはり人々との触れ合いによって何が大事なのかが解って来る。「蚊取り線香」の重要性を私自身、初めて知りました。避難するテントの中は「蚊」が飛び交い眠れる状況では無いとの事。急遽、大量の香取線香を手配しております。
お振込先を御知らせ致します。心よりお願い申し上げます。
「口座番号」 01760−7−101305
「加入者名」 アジアチャイルドサポート
郵便局からのお振込の場合は通信欄に「寄付金として」とお書添え下さい。
「琉球銀行 諸見支店」(リュウキュウギンコウ モロミシテン)
「口座番号」 (普通)440444
「口座名義」 アジアチャイルドサポート
金額、支援先、活動状況は報告させて頂きます。支援金は全額(事務局経費には使用致しません)現地に御届け致します。
アジアチャイルドサポート 公式サイト
http://www.okinawa-acs.jp/
池間哲郎氏の無料Webセミナー「学校・テレビ・新聞が教えない感動の日本史 会場500人が涙に包まれた講演の映像を一度限り無料ネット放映」
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