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私の職業遍歴と、スピリチュアル「娯楽」思考

私の職業遍歴と、スピリチュアル「娯楽」思考

サラリーマン

私が学校を卒業してすぐに就職した会社は大手流通会社でしたが、その当時はバブルの全盛期。社会人経験もまだ浅い24歳の時にそこを辞め、自己の憧れから不動産ディベロッパーに転職しました。

私は短期間で実務を覚え、5万6千坪の宅地開発業務の担当をほぼ一人で任されました。
取引先の土木設計事務所の担当者と組んで役所へ事前協議に行ったり、土地の調査を行ったり、申請書の作成をしたり、また、当時まだ20代だった私が1億円の小切手と会社の印鑑を一人で持たされて取引をしてきたこともありました。
それだけ私は会社から信頼されていたわけで、自分よりも年齢が10も20も上の人たちよりも仕事が出来ました。したがって、中には私のことを煙たいと思う年上の上司たちもおり、そのような社内の人間関係が嫌になってその会社を辞めたという経緯があります。


以降私は、広告代理店、出版社、医療・介護業界など、複数の異業種を渡り歩いてきました。職種も編集者、広報課、経営企画室、センター長など様々です。看護師や介護士の採用もやりました。
全く違う業界に専門職や管理職候補として転職することは一般的には不可能に近いことなのですが、要領の良かった私はそれを成し遂げ、その結果、複数の異なる仕事の専門知識を身に着けてきたのです。

30歳ぐらいまでの私は、身も心も資本主義社会にどっぷり漬かっていた仕事人間でした。それから、とにかく体が弱かった。
自己の身体的な問題で行き詰まっていたある時、東京の雑沓の中で体験した深夜の「切断」によって、それまでの偏った意識がリセットされると同時に持病が完治しました。そして、それ以降も暫く続いたサラリーマン生活の中で自分の生き方を徐々に変えていったのです。
私のサラリーマンとしての最後の勤務先は、マーケティング系の経営コンサルタント会社でした。
このような職業遍歴を持つ私は、自己の引き出しの多さだけが取り柄です。

人

さて、今日のブログで私が何を言いたいのかと言うと、スピリチュアルをやる人は三次元の現実と徹底的に向き合う必要があるということです。

客観的に見れば、私の人生は「切断」体験をする前よりも後のほうが波乱万丈でした。
二度の勤務先の倒産を体験し、一時期は工場派遣労働者や建築現場の監督補助などをしたこともありました。また、プライベートでは金銭トラブルに巻き込まれる体験もしました。
そして、愛する人が不治の病となり私が介護をしなければならなくなった事が、私がサラリーマン生活を強制終了させられる出来事となりました。
私は、何かの意図によってか、このように三次元の現実と激しく向き合わさせられる体験をしてきたのです。

サラリーマン生活の強制終了が私の大きな転機となりました。もしサラリーマンを続けていたら中山康直さんとの深い交流も無く、今のような活動はしていなかったでしょう。
また、このような三次元体験があったおかげで、今の私のスピリチュアル思考が確立されたのです。
そして私は今、また何かの意図によってか、10年間続いた介護生活から解き放たれ、新しいことにチャレンジする余裕も生まれています。


前回の記事で紹介した「***尊様、日本正神界に仕える者」と名乗って私の前に突如現れたような人は、現実と向かい合っていない人ではないかと思います。
この人は、何のために他人の楽しみを奪おうとしているのか、麻と精神文化をテーマにしてイベントを行っている人たちに対して実力行使をしてでもやめさせようという考えを持った人でした。神道の聞き覚えのある神様の名を使っていましたが、思考的には新興宗教に属する人です。しかし、組織は持っていないようです。
私が科学的な文献を示しながら理論的に説明しようとしても聞き入れようとせず、自己の思い込みから離れずに自己流で作り上げた神様の話ばかりをしながらこちらの活動をやめさせようとしてきました。

将来的に宗教は古来の精神文化というような括られ方で守られ続けると思うのですが、私はこれからの時代に宗教を行う人たちには、出家は好ましくないと考えています。
現実の社会生活や三次元の文明と真摯に向き合いながら精神世界を体験していかないと、この人のようにネガティブなオタクなってしまうからです。
過去にも、どこかの神様に仕えていると自称する人で、肉を食べてはいけないとか、スピリチュアルでお金をもらってはいけないとか、色々なことを言ってくる人たちがおりました。

人生

私はスピリチュアルを、現実の生活と精一杯向き合って生きている人へご褒美として与えられる「娯楽」と考えています。
生老病死と言うように、人生は楽しいことばかりではありません。しかし、スピリチュアルという言葉で呼ばれている生き方の哲学と楽しく接することによって、精神のバランスが整い、ポジティブに生きることが出来るようになるのです。
そして、仲間と一緒にスピリチュアルを活動として行うことによってポジティブな波動の集合磁場が形成され、世界に平和がもたらされるのです。

逆に、現実からの逃避先としてスピリチュアルを選び、しかめっ面でスピリチュアルをやっているような人は、自分が抱えている問題が何も解決しません。
そういう人たちは、自分と考えの違う人たちのことを、世を大難に導く者たちだ、などと言って批判するようになり、しまいには神の名の下に良からぬ行動を起こしてしまうのです。

(やしろたかひろ)

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