弥栄-いやさかの会

竹内文書の信奉者・高坂和導氏が忌み嫌った聖徳太子とは何者だったのか

竹内文書の信奉者・高坂和導氏が忌み嫌った聖徳太子とは何者だったのか

アメノウキフネ


竹内文書とは、昭和3年に茨城で新興宗教「天津教」を開いた竹内巨麿によって公開されたものです。

竹内文書では、古事記よりもはるか昔に天皇(=スメラミコト)の祖先が宇宙から日本に降り立った時から人類の歴史が始まったとし、当時の天皇は天空浮舟(あめのうきふね)に乗って世界を巡幸し、人々(=五色人)をまとめていたと記されています。
また、イエスキリスト、釈迦、マホメットなど世界の大宗教の開祖たちはすべて来日して、天皇から学びを得たという内容になっています。

※竹内巨麿による「竹内文書」と、武内宿弥から伝承されている「正統竹内文書」とは別物です。


竹内文書には古代語と現代語が混じっているなどの理由で、その内容の信憑性には言語学者らの批判がありました。
しかし、この内容が真実であると考える根強い信奉者は現代にも存在しています。

戦後に現れた竹内文書の代表的な信奉者は、「超図解 竹内文書」などの著者である故・高坂和導氏でした。
高坂氏は、皇居をバチカンのような独立府とし、皇居内に世界統一政府を置くべきだと主張していました。


皇室の歴史の中で、天皇が国家の統治者になったのは、聖徳太子の功績が非常に大きかったとされています。

聖徳太子は、推古天皇の摂政として政治改革を行いました。
「冠位十二階」は中国の官僚制度をモデルとして制定されたもので、朝廷内の役人たちの序列を明確にし、天皇が直接有能な人材を登用することで中央集権化を進めることができました。
「十七条憲法」は儒教や仏教の倫理観が反映されたもので、天皇の統治の下に役人たちの心得や倫理を示すものでした。


高坂和導

しかし、生前の高坂和導氏の発言の中には、聖徳太子の存在を忌み嫌っていたのではないかと思われるものがありました。
その理由を考えてみたいと思います。

聖徳太子は日本に仏教を広めた人物としても有名ですが、彼にはペルシャ人説があります。
聖徳太子の母は用明天皇の皇后であった穴穂部間人(あなほべのはしひと)であるとされており、名前の一部にある「はし」とは、ペルシャのことを意味していたという説があります。

そして、聖徳太子は、古代ペルシャで誕生したゾロアスター教の流れを仏教の中に見出していたとする見方があります。
もしその通りだとすれば、ゾロアスター教の中にある終末思想が、聖徳太子の預言書と言われる「未来記」の内容に影響を与えたと考えることが出来ます。

平安時代に著された聖徳太子の伝記「聖徳太子伝歴」には、穴穂部間人の夢の中に黄金に輝く救世観音が現れ、その観音が彼女の口の中に入ったことで聖徳太子を身ごもったと記されています。
また、厩戸皇子(うまやどのみこ)という名前からもうかがえるように、聖徳太子は馬小屋で生まれたとされ、さらに人知を超えた能力をもっていたという伝説があり、これらの話はキリスト伝説と酷似しています。

またさらに、聖徳太子の側近の中に、日本全国に稲荷神社を広めたことで知られている秦河勝(はたのかわかつ)がいました。彼は鼻が高く西洋人顔であったと言われています。
そして、「いなり」とは「IMRI(インリ)」のことで、キリストを意味しているという解釈があります。


インリ


飛鳥時代に起きた重要な出来事として丁未の乱(ていびのらん)があります。
これは、仏教界に経済的利権を持っていた蘇我馬子と、縄文時代から続く八百万の神々に対する信仰を守るために仏教公伝に反対していた物部守屋が武力衝突をした事件です。
その結末は、聖徳太子が蘇我馬子側について兵を挙げ、物部守屋が討たれました。

このように聖徳太子に関わる史実や伝承を調べていくと、日本古来の価値観が異国からやって来た人物によって封じられ、皇室は外国人の政治家と外来の宗教、外来の社会システムによって支えられながら発展してきたように受け取れます。
それは、日本を世界の中心とする竹内文書の世界観と矛盾しているのです。

ゾロアスター教やキリスト教には善悪二元論があり、イメージ的にも良くありません。
さらに、近年は縄文回帰がブームになっていることもあり、高坂和導氏にとってみれば聖徳太子の存在はまさに目の上のたんこぶであり、触れたくない人物だったのでしょう。

「漢書」「魏志倭人伝」といった中国の古い文献の中に、縄文人のことと思われる倭人についての記述があります。
それらには、倭人は男女ともに顔や体に入れ墨をしており、素朴で争いごとを好まない、と記されています。

歴代天皇の中で、体に入れ墨をしていたという記録はありません。
神武天皇は、日本の先住民ではなかった可能性が大きいと言えます。
しかし、現代に生きる私たちにとって大切なことは、そのような血脈の話よりも、現代の天皇がどのような価値観を持っているのかということなのではないでしょうか。


龍神の滝

2022年、熊本で開かれた第4回アジア・太平洋水サミットにおいて令和天皇が行った記念講演は、日本の縄文時代にあった龍蛇信仰をテーマとするものでした。
そして、水への感謝と畏怖によって世界中の人々が相互に繋がり合っていた時代があったことを説明されました。

第4回アジア・太平洋水サミットにおける天皇陛下記念講演
https://www.kunaicho.go.jp/page/koen/show/8


※PS.
ネット上に津波や隕石衝突の予言があふれています。今、チャネラーを名乗る人たちに恐怖の情報を与えて彼らをマインドコントロールする仕組みがあるので、そのような予言に踊らされないよう注意しましょう。
予言とは関係なく科学的に見て自然災害は常に起きる可能性があるので、備えは必要でしょう。

(やしろたかひろ) 


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