弥栄-いやさかの会

【大和三算】数学教育を変えることで、世界は平和になる!

【大和三算】数学教育を変えることで、世界は平和になる!

大和三算

原田武夫さんという方がユーチューブ配信で「大和三算」という面白い話をされていたので、それを私なりにかみ砕いてご紹介したいと思います。


スピ系の集会へ行くと、集まっているのはほとんど女性ですね。それには理由があると思います。
文科系と理数系という分け方をすれば、スピリチュアルが好きな人は文科系の人が圧倒的に多いのではないでしょうか。
むしろ理数系でスピリチュアルにフォーカスしているような人は、かなり知的レベルが高い人なのではないかと私は思います。

学生時代の私は数学が大嫌いでした。小学校で習う掛け算九九ぐらいまでは良かったのですが、中学で方程式が出て来ると、何のためにこんなものを覚えなければいけないの? という違和感を覚えるようになりました。

そう思いながらも、高校受験のために数学は必要だと思って無理矢理頑張りました。
ただ、中学のある時に小さな反抗で、先生の前で「この計算の答えがこうなる理由がよくわらないんです」と口走ってしまったことがありました。私は深い意味でそれを言ったのですが、その先生からは「お前がそんなことを言うとは思わなかったぞ」と、あっさりと返されてしまいました。

そして、高校で「数I」という科目に出会うと、いよいよ私の拒否反応は止まらなくなったのです。そのため、試験科目に数学の無い私立大学しか受験することが出来なかったのです。
逆に私は国語が大得意で、高校は進学校でしたが現代国語の成績だけは学年でもトップクラスでした。
あと、日本史も好きでした。特に古代史。文献が少なくて良く分からない時代に思いを馳せることが好きだったのです。


さて、数学と国語の違いとは何でしょうか。

「AはBである」という場合に、「状態」のことを言っている場合と「概念」を言っている場合とがあります。
例えば、「ゾウの鼻は長い」と言うのは「状態」であり、これに対して反論を言う人はいないでしょう。
一方で、「ゾウはかわいい」と言う場合には「概念」であり、人によって異なる意見があります。

今の学校で教わる数学とは「状態」に着目する学問であり、問いに対して答えが一つしかありません。それ以外の結論を出すことは許されません。

それに対して国語とは「概念」に着目する学問であり、言葉から人の心理を読み取る作業を行います。概念には明確な正解がありません。スピリチュアル的であると言えます。

今の世の中の仕組みは自分にはどうもしっくりいかない、馴染めない、……
そう感じていたから、皆さんはスピリチュアルに走ったのではないでしょうか。

実は、私たちが学校で習ってきた現代数学こそが、頭の固い政治家や官僚や企業家や教育者を育て、この社会を作ってきたのではないかという疑念を持たざるを得ないのです。


算数

1÷2=0.5 というのが今の数学です。

私たちが当たり前のように感じている数式ですが、改めてよく考えてみてください。
この数式では、残りの0.5が消えてしまっています。
しかし、何かを二つに分けたら、一方が消えて無くなるということは現実にはありえません。人が10人いた時に、2つのグループに分けても10人のままでしょう。
数学とは状態に着目する学問だと申し上げましたが、実は状態を正しく表していないのです。
今の数学は、物事を二つに切り分けたら、一方を無き者にして一方だけ残すという考え方がベースになっているのです。ある意味、怖くないですか?

そこで、……

1÷2=0.5と0.5 (0.5がふたつ) とするのが正しい答えなのではないだろうか? と考えることによって、新たな世界が開きます。

しかし、厳密に言えばこの数式も、決め付けの域を脱していません。

私たちの現実の生活の中で、物を2つに分ける時に寸分の狂いも無くぴったり0.5ずつに分かれるということはめったにありませんよね。
0.4と0.6に分かれることもあるし、0.1と0.9の場合もあるでしょう。

この問題を解決するのが日本で生まれた「大和三算」であり、1÷2の答えに幅を持たせるのです。
塩梅していき、合計が1になれば何でも正解とします。
こうなると数学の中に概念が組み込まれ、柔らかいイメージのものになります。


今の社会は白か黒か、右か左か、善か悪か、健康か病気か、陰性か陽性か……という二者択一で成り立っています。どちらか一方に決めると、もう一方はばっさりと切り捨てられてしまいます。塩梅なんて許されません。
これからの社会の主流になるコンピュータも、0と1だけの組み合せで出来ているから深刻です。
しかし、切り分けられて対立する世界ではなく、お互いがひとつであるということを前提にしてワークするシステムをコンピュータにインプットすることが出来れば、問題は一気に解決します。

天照大神が男性か女性かという議論がありますが、概念的なことでそのような頭の固い論争をするのはもうやめましょう。
日本古来の神道では、岩でも植物でも人間でも神様と考えてきました。天使と悪魔の区別もありません。

「状態」から「概念」へ、「二者択一」から「塩梅」への転換。
この大和三算の発想が、私たちがこれから自らを再生させ、社会を再生させる時の指針になるのだと思います。

(やしろたかひろ) ※Twitterフォロワー募集中


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