スピリチュアルの対立軸
スピリチュアルの対立軸
この動画は、幼少期に親から強制されて新興宗教の布教活動をさせられていたMarukidoさんと、その教祖の長男・大川宏洋氏によるラップです。
宏洋氏は暴露本を出して教団から訴訟を起こされています。
当ブログ2月7日の記事で、私はスピリチュアルはアングラ文化(=オタク文化)の代表格であり、カウンターカルチャーとは違い対立軸を持たないと書きました。
今日はそれと矛盾することを言うかもしれませんが、あえてスピリチュアルの対立軸をあげるとしたら、それはカルト宗教だろうと思います。
世間的に見てスピリチュアル業界は新興宗教と区別がつきにくく、地方在住でスピリチュアルの活動などをしているとカルトと誤解をされて周りの住民から嫌がらせを受けたりする場合があります。
しかし、両者には根本的な違いがあるのです。
カルト宗教は、まず精神的リンチから入ります。個人に対して人格否定をし、これまでの自分を悔い改めて教団に身を差し出すように促します。
人間は過ちが多く、ひとりで立つことが出来ない小さき者であり、教団や神格化された教祖に依存(絶対服従)することによって救いが完成すると信じ込まされるのです。
それに対して、スピリチュアルが目指すところはワンネスの気づきです。
ワンネスとは、社会的地位や文化や信仰とは関係なく、すべての人間は神の分身であり、誰もが創造主であり、何に依存しなくても一人一人が完全な存在であるということです。
自分が創造主であるということは、自分が体験するポジティブな出来事もネガティブな出来事もすべて自分の意識が創造したものであるということです。ここから引き寄せの法則やパラレルワールドの理論が生まれています。
宗教には教祖と信者、師匠と弟子、上級者と下級者といったような人間関係の階層がありますが、互いに相手を創造主の分身と考えて尊重し合うスピリチュアルには階層がありません。
このように、スピリチュアルと宗教、特にカルト宗教はその思想から言って真逆の関係にあるのです。
中には、スピリチュアルの仮面を被ったカルト宗教もありますが、以上の説明が見分けるポイントになるでしょう。
私は、「悟り」とは理解することで、「覚醒」とは感動体験であると定義しています。
映画「美しき緑の星」で「切断」と言っている現象が覚醒に近いものだと思います。
ワンネスの気づきは思考や感情を超えたところにあり、悟りと覚醒を何度も繰り返すことで到達します。
覚醒だけを体験して悟りに至っていない場合、思考的なエラーで自分が超人になったかのように勘違いをする場合があります。宗教で教祖と呼ばれる人にはこのケースが多いと思います。
(やしろたかひろ) ※Twitterフォロワー募集中
関連記事
スピリチュアルは多様性を認めるアングラ文化、カウンターカルチャーとの違い