東京にある平将門ゆかりの北斗七星スポット
東京にある平将門ゆかりの北斗七星スポット
徳川家康は、江戸の街を守るために平将門の霊を祀る北斗七星型の魔方陣を作りました。その位置図がこれです。
1.鳥越神社…東京都台東区鳥越2丁目4-1
2.兜神社…東京都中央区日本橋兜町1丁目12
3.将門塚…東京都千代田区大手町1丁目2-1
4.神田明神…東京都千代田区外神田2丁目16-2
5.築土神社
旧位置: 東京都新宿区筑土八幡町2丁目1に所在する築土八幡神社の向かって左隣 (1945年東京大空襲によって全焼し、現在は東京都千代田区九段北1丁目14-21に移築)
6.水稲荷神社…東京都新宿区西早稲田3丁目5-43
7.鎧神社…東京都新宿区北新宿3丁目16-18
神田明神
夜間はライトアップされており、24時間参拝することができます。
将門塚
将門塚は皇居のすぐそば、三井物産ビルの隣にあります。
討ち死にした将門の首は京都(平安京)に晒されましたが、その3日後に将門の故郷の方角へ向かって飛び立ちこの場所に落ちたという伝説があります。
現在この土地は東京都教育委員会が所有していますが、明治時代には大蔵省庁舎の敷地でした。
さらに、三井・三菱財閥ゆかりのスポットでもあり、現在も大手町の大企業群が神田明神と将門塚をセットでお守りしており、日本経済を支えている神社であるといえます。
なおかつ皇居から気が流れて来る場所でもあり、神田明神と将門塚は金運を上昇させるパワースポットといわれることがあります。
平将門が生きた平安時代は律令制が崩れ始めた時期で、朝廷内の要職は藤原氏が独占して賄賂が横行し、地方の政治は朝廷から派遣された国司と呼ばれる下級役人の横暴で農民が重税に苦むなど、混とんとした時代でした。
将門は関東一円の国司たちを追い出して、生活に苦しむ農民たちの税金を無税にし、武器を作るための鉄で農具を作りました。そして、関東に独立国家を作ることを宣言します。
しかし、朝廷が「将門を討ち取った者は、身分を問わず貴族にする」との通達を出すと、将門は平貞盛によって討たれたのです。
この経緯から、関東地方では、平将門は弱者に優しかった英雄として信仰を集めることになりました。