自然界は「弱肉強食」の関係にあるのか?「Yahoo知恵袋」の話題【いやさかの会】
スピリチュアル社会学
スピリチュアルとは生活すること。私たちが三次元と認識しているこの世に生きていること自体が、すでにスピリチュアルな状態です。この現実社会をしっかりと生きることで、人は霊的にも成長していきます。
自然界は「弱肉強食」の関係にあるのか?「Yahoo知恵袋」の話題
「Yahoo知恵袋」に投稿された「弱者を抹殺する」と題した質問に対して、見事なベストアンサーが投稿され、ネットで話題になりました。
※アンサーのほうは長文のため、一部省略させていただきました。
質問内容(irie120310さん)
不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。
自然界では弱肉強食という単語通り、弱い者が強い者に捕食される。
でも人間の社会では何故それが行われないのでしょうか?
文明が開かれた頃は、種族同士の争いが行われ、弱い者は殺されて行きました。
ですが、今日の社会では弱者を税金だのなんだので、生かしてます。
優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのですか。
今の人間社会は理に適ってないのではないでしょうか。
人権などの話を出すのは今回はお控え頂ければと思います。
ベストアンサー(mexicot3さん)
え~っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません
弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません
虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています
自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です
個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます
(※中略)
種レベルでは「適者生存」です
この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません
「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです
(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)
必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります
多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、
あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです
(※中略)
「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります
人間の生存戦略は、、、、「社会性」
高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する
個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる”弱者”です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です
どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の”弱者”を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します
人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました
(※中略)
アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです
その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです
だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです
「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです
我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです
「食物連鎖」という言葉がありますが、これは「弱肉強食」とは全く意味の異なるものです。
すなわち、
(※画像は「北海道森林管理局」ホームページより)
草食動物→肉食動物→地上の動物の死骸や糞を食べる地中の生物→地中の生物が分解した栄養分を食べる植物→草食動物
自然界は直線的なものではなく、このように循環の輪を描く関係にあります。
つまり、与えることと与えられることの完全なバランスの上に成り立っており、自然界には誰が強者で誰が弱者であるという区別が無いのです。
ところが、今の人間社会はどうでしょうか?
強者(奪う者)と弱者(奪われる者)とに、完全に分かれてしまってはいないでしょうか。
このような大自然の法則に背いた人間の社会が、未来永劫持続できるはずはありません。
人間の生存戦略である「社会性」の目標とは、大自然の大きな循環とバランスを意識しながら、人間という同じ種同士で最大限に生かし合って、輝かし合い、与えることと与えられることの完全なバランスを形成することにあるのです。