大東亜戦争の原因は何だったのか?【いやさかの会】
スピリチュアル社会学
スピリチュアルとは生活すること。私たちが三次元と認識しているこの世に生きていること自体が、すでにスピリチュアルな状態です。この現実社会をしっかりと生きることで、人は霊的にも成長していきます。
大東亜戦争の原因は何だったのか?その経緯を追う
私たちは教科書で、大東亜戦争は1941年12月8日、真珠湾攻撃から始まったと教えられている。
そして戦争の原因は日本の侵略だと教え込まれている。
・・・・果たしてそれは真実だろうか?
この戦争が起こる前までの世界は、白人帝国主義の時代だった。
白人が自分たちの生活の豊かさを維持するためにアジアとアフリカの国々を侵略し、多くの有色人種が虐殺されたのである。
日本の苦難の道は、1853年7月8日、ペリー来航から始まる。
いきなり国際社会へ放り込まれた日本人は、欧米列強の植民地政策に愕然とし、日本を植民地にしてはならないと近代化を急いだのである。
事実、欧米列強が日本を狙い始めた。特にロシアの脅威は大きかった。ロシアはたびたび北海道に軍艦を差し向けて調査を行い、日本を標的にしてウラジオストックに軍港を造った。
当時、清国の属国だった李王朝時代の朝鮮は、王族だけが豊かな生活をして人民の生活は悲惨な状態であった。
このままでは朝鮮はロシアに落とされて朝鮮国内に軍事基地を造られてしまうと危惧した日本は、清国に対して朝鮮を独立国として自立させて欲しいと交渉するが、清も李王朝もそれを聞き入れなかった。
日本は、それが理由で1894年に日清戦争を起こしたのである。
清と戦って勝利した日本は、日清講和条約(下関条約)により遼東半島、台湾、澎湖島の割譲を受け、朝鮮を独立させる約束も取り付けた。
しかし、ロシア、フランス、ドイツによる干渉(三国干渉)を受けて遼東半島をやむおえず清に返還する。
ところが、清に返還した後もロシアが遼東半島に居座ったため、日本国内では日露戦争やむなしという機運となった。
ロシアが南下してくると自分たちの権益も脅かされると考えたイギリスは、日本と同盟(日英同盟)を結ぶ。
そして1904年、日露戦争に突入。この戦争はぎりぎりのところで日本が勝利し、ロシアの南下は抑えられたのである。
日露戦争に勝利した日本は、朝鮮半島の権益を受け、またロシアから南満州鉄道を受け取って、それを守るために満州に軍隊の駐留させる権利を有した。
さらに、ポーツマス条約によって南樺太も日本国になった。
こうして、とうとう有色人種人の国家が世界の五大国の一つになったのである。
1919年、パリ講和会議において、日本は世界で始めて人種差別撤廃を明確に主張する(人種的差別撤廃案)。
このことは、差別に苦しめられる世界の有色人種から賞賛の嵐となり、日本の提案は圧倒的賛成多数を得た。
当然に可決されるかと思われたが、アメリカのウィルソン大統領が「この案に関しては全会一致でなければ可決することはできない」と主張。それにイギリスが同意して否決された。
これまでの重要事項は多数決で決められていたにも関わらず、日本の偉大な提案は理不尽な経緯で否決されたのである。
日本は日露戦争に勝利し満州の権益を得たものの、その当時の満州は中国の一部でありながら軍閥たちが勢力を争う無法地帯であった。
日本には軍閥の中でも最大だった張作霖と組んで満州を統治しようという動きもあったが、その張作霖が爆殺されるという事件が勃発する。
張作霖の息子、張良学は、張作霖の殺害は日本の広東軍の仕業であると断定し、以降、その恨みから日本と交戦をするようになった。
1931年9月31日、柳条湖で南満州鉄道の路線が何者かによって爆破される(柳条湖事件)。
これを機に日本国の広東軍が動き出し、瞬く間に満州全体を制圧する(満洲事変)。これが1932年に清の最後の皇帝・溥儀を元首とする日本の傀儡国家、満州国建国につながっていく。
※中国は、柳条湖事件を日本が侵略を始めた日と今でも認定している。
無法地帯だった満州は日本が入ってからは治安がかなり安定した。さらに、日本は満州のインフラ整備を徹底して行い、農業に力を入れたので住みやすく豊かになった。そのため中国や朝鮮などから多くの人々がここに移住してくるようになった。
こうして満州は日本にとって北の脅威からの防波堤となり、日本の生命線となるのである。
満洲国の日本による支配状況について(イギリス産業連盟の使節団調査)
ところがイギリス、フランス、ロシアは満州の発展を見て、このままだと自分たちの利権が奪われると考えるようになった。
さらに、東アジアに利権を持っていなかったアメリカも、満州を狙うようになる。
1931年、満州事変や満州国についての調査を命ぜられたリットン調査団が入り、その結果、国際連盟によって日本の行為は侵略行為であったと断定される。
しかし、日本は白人たちのように現地の人々を皆殺しにして侵略して土地を取ったわけではなかった。欧米諸国が、自分たちがしていることを棚に上げて日本を非難したため、日本は憤慨して国際連盟を脱退。その結果、日本は世界から孤立してしまうのである。
その後、欧米による日本包囲が強まり、広東軍と小競り合いを続けていた支那軍閥や蒋介石国民党に対して莫大な資金と武器の援助が開始されることになる。
1937年7月7日、盧溝橋事件(北京の近くにある橋)が勃発。支那事変の始まりとなる。
日本は支那事変の講話仲介をアメリカに依頼したが、アメリカはこれを拒否した。
アメリカによる日本バッシングが始まり、支那軍閥や国民党に武器と莫大な援助を開始する。イギリス、フランス、ロシアも援助を始める。
欧米による蒋介石国民党に対する援助は「援蒋ルート」と呼ばれ、米国は総額21億ドル(今に換算すると20兆円ぐらい)の援助を行ったと言われている。こうして国民党に際限のない軍事資金が流入したため日本との交戦が延々と続き、日本は莫大な戦費で疲弊していったのである。
何度も平和条約を結ぶも、ことごとく破られる。満州では日本人に対する迫害と虐殺が続いた。
そして、「通州事件」が起こる。
1937年7月29日、当時日本人が多く住んでいた通州にて、日本人が子供を含めて大量虐殺されたのである。
現在、南京虐殺記念館に掲げられている写真は、実は日本人が中国人に殺された写真が多い。この「通州事件」で猟奇的に強姦虐殺された日本人の写真を、中国が南京大虐殺の証拠としてプロパガンダに用いているのである。
南京大虐殺事件証拠写真を検証する
アメリカの国内でも日本人叩きは激しさを増し、1024年には人種差別を強める排日移民法が制定された。
1940年、日米通商航海条約が一方的に破棄され、アメリカ、イギリス、中国、オランダは、日本への資源輸出をストップした。(ABCD包囲網)
資源の無い日本は産業が衰退し、少なくとも1000万人の失業者が出たと言われる。多くの日本人が餓死に追いつめられた。
1941年7月、アメリカは自国内にある日本の資産を凍結(在米日本資産凍結)。国際法的に言えば、この時点でアメリカが日本に宣戦布告をしたと言っても良い。武器で攻撃することだけではなく、経済封鎖も完全な戦争状態である。
さらに、軍事的にも、アメリカは日本が真珠湾攻撃を始める遥か以前から、国家による工作によって組織された数千人の非正規軍に日本の軍隊に向かって攻撃をさせていた。それは「フライングタイガース」と呼ばれた。
すなわち、事実上、先に戦争を始めたのはアメリカだったのである。
1941年8月、アメリカは日本に対する石油の全面禁輸を決定。
当時の日本はほとんどアメリカからの輸入に頼っていた。
※今の状態も、ペルシャ湾を封鎖されたら日本経済は完全に潰れる。
1941年11月、アメリカは日本に対して最後通告としてハル・ノートを突きつけ、「日本は、満州も、中国の利権も、すべて放棄せよ」と要求する。
日本にとってそれは、到底受け入れられるはずもなかった。
このようなアメリカの経済と軍事の両目による攻撃と、ハル・ノートという最後通告を受けて、日本人は白人の奴隷として生きるのか、日本の誇りと未来を賭けて戦うのか、どちらかを選ぶしかない状況まで追いつめられていく。
日本人は、北米大陸で迫害されて最後まで白人の奴隷にはならなかったアメリカインディアンと同様に誇り高き民族であった。奴隷となって生きることよりも戦うことを決断したのである。
当時のアメリカ大統領・ルーズベルトは「戦争はしない」との公約で大統領となったが、日本から先に手を出させればアメリカ国民も納得するだろうと考えて画策をし、真珠湾で最初の一発を日本に打たせたのである。
するとアメリカの国内に、「サルが歯向かったのか」「日本を叩きのめせ」という世論が高まり、ルーズベルトの思い通りになった。
大東亜戦争は、白人に対してアジア人が戦った防衛戦争である。
戦後、マッカーサーも、アメリカ上院軍事外交委員会でこう証言している。「日本の戦争は自衛のためだった」と。
資源を獲得しなければならなかった日本国にも領土拡大の目的はあった。しかし、欧米の侵略行為のように人間を差別して虐殺し搾取することは目的としていなかったのである。
結果として、大東亜戦争によって最も得をしたのは、アメリカではなくスターリン率いるソ連であった。
アメリカは日本敗戦後、支那と満州を取り上げて蒋介石に統治させ、中国をアメリカの傀儡国家として属国にする予定だったが、スータリンに裏切られた。
ソ連はヤルタ協定の密約を破り、中国を蒋介石ではなく毛沢東に統治させて中国共産党を創始させたのである。
すると、中国のほか、北朝鮮、ベトナム、ラオスなどが社会主義国となった。ソ連は、戦わずして東アジアの多くを支配下に置くことが出来たのである。
マッカーサーは、「支那の喪失と共産化は米国太平洋政策100年の失敗だった」と総括する。
その後アメリカは、朝鮮戦争、ベトナム戦争などで多くの戦死者を出した。
[追記] 日本の現状にについて
日本はアメリカに石油を止められて餓死者が出て、その時に軍国主義的な思想も台頭し、勝ち目のない対米戦を余儀なくされたというのが歴史的な事実です。
だからその反省で今は中国の工作で日本が戦争状態(経済戦を含めて)に陥らないように、沖縄に米軍基地を置いて中国に対して睨みをきかせてもらう必要があるというのが日本政府の考えです。
中国が領有を狙っている南シナ海は、日本にとって石油のルートでもあります。
資源の乏しい日本は、戦争をどう戦うかよりも抑止力(経済戦の抑止を含めて)をどうきかせるかのほうが重要であり、それをアメリカに頼るしかないというのが弱味です。
だから日本は地下資源から地上資源へという道を模索する事が重要。その策のひとつがヘンプなのです。
ヘンプカー・プロジェクト実施中
http://www.ooasa.jp/hemp_car/