弥栄-いやさかの会

ミロクの世の作り方 人類の戦争を終わらせる唯一の方法、それは縄文意識と現代文明の統合

ミロクの世の作り方 人類の戦争を終わらせる唯一の方法、それは縄文意識と現代文明の統合

ストーンサークル


2024年は辰年。縄文の龍神・瀬織津姫を思い出す年です。

今回は、国家の政策によって日本から縄文的な価値観と瀬織津姫が封印された経緯を振り返ることによって、世界から戦争を無くす方法について考察してみたいと思います。


古代人は自然界の万物に対して畏敬の念を抱いていました。

神社という形で社殿が建てられる以前の信仰対象は自然物であり、磐座(いわくら)信仰がありました。
また、大地を司るのは蛇神、空と大地と海を循環する水を司るのは龍神として、龍蛇神信仰がありました。

上の写真は秋田県鹿角市の環状列石(ストーンサークル)です。
日時計であったと考えられますが、縄文人は太陽に対する意識も強かったと思われます。

大地と水と太陽が生命を育む三要素であり、土偶の形は豊穣をもたらす地母神を表わしているとも、植物の女神を表わしているとも言われます。

日本におけるアニミズム(自然信仰)は女神と結び付けられることが多く、大祓祝詞に登場する瀬織津姫は水の女神です。


縄文時代の社会は自律分散型

中央集権型と自律分散型


縄文時代にも狩猟や祭祀の際に中心となるリーダーがいたと思われますが、自然からいただくものをみんなで分け合って生活する社会だったため、身分や貧富の差はなく、弱い者は生活の助力を得ていたと考えられています。

縄文社会では誰から支配を受けることも無く一人一人が自律して活動し、自然と全体が調和した共同体が形成されていました。このような社会を自律分散型社会といいます。
「自律分散型」の反対語は「中央集権型」です。

約6,000~7,000年前、鹿児島県南方約50kmの場所で鬼界カルデラ大噴火が起き、その火山灰は東日本まで到達しました。
この自然災害によって西日本の縄文社会は壊滅したといわれています。
比較的被害の少なかった北関東から東北地方にかけての地域で、日高見国という縄文人による平和な国家が築かれました。

しかし、弥生時代になると九州地区を中心に渡来人が日本へ上陸し、青銅器や鉄器、絹織物などの技術が伝わり、やや社会が複雑化してきます。
同じ血族でまとまって組織を作った渡来系の豪族が土地や人民を支配するようになり、その豪族たちの連合体としてヤマト政権が誕生します。
ヤマト政権トップの後継争いも激しかったと思われます。

階級制度と外来宗教による国造りの始まり

冠位十二階


この時代に大陸から仏教が伝わりました。
八百万の神を信仰する古神道を守ろうとした豪族・物部守屋と、仏教を広めようとした豪族・蘇我馬子が対立し戦争が勃発しました。この戦いは、聖徳太子が馬子側に着いて兵を挙げ守屋勢が滅ぼされるという形で決着がつきました。
これ以降、縄文時代から続いた日本の自律分散型社会は消えゆく運命をたどります。

そして、推古天皇の下で聖徳太子と蘇我馬子が手を組み、天皇を中心とする中央集権国家の樹立を目指した政治改革が行われます。
冠位十二階は日本史において初めての公式な階級制度であり、これによってそれまでは豪族による世襲制だった官僚組織が実力主義に改められました。
また、この制度の下で新しく官僚に就任した者たちの心得として、「国に二人の君主なし」と謳う十七条憲法が発布されました。

聖徳太子は日本で仏教を広めた人物として有名ですが、仏教の一部として日本に入ってきた妙見信仰が彼に大きな影響を与えました。
妙見信仰とは北極星を天皇大帝と呼んで北斗七星とともに神格化するものであり、これがヤマト政権の王を天皇と呼んで神格化することに繋がったと考えられます。

ところが、蘇我馬子が暴走して蘇我氏が天皇を凌ぐほどの権力を持つようになり聖徳太子との間に亀裂が生じます。
その後、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我馬子の孫であった蘇我入鹿を暗殺したのが大化の改新の始まりでした。

中大兄皇子の父であった持統天皇は、瀬織津姫を祀っていた神社に対して祭神を変えるよう勅令を下します。言う事を聞かない神社は取り壊されたといいます。
地域ごとにその土地の神様=産土神(うぶすながみ)を祀っていた縄文由来の古神道は、中央集権政治とは相容れないものだったのです。
そして、中臣鎌足の次男であった藤原不比等の時代に古事記が完成し、ここに伊勢神宮を日本の総氏神とする伊勢神道が確立したのです。

神仏習合



平安時代になると本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想が広められます。
本地垂迹とは、古神道の八百万の神々は様々な仏様が化身として日本の地に現れた権現であるとする思想です。
この思想が広められることによって、縄文アニミズムを源流とする古神道は外来の仏教よりも格下に位置づけられることになったのです。
そして、蝦夷討伐事業が飛鳥時代から平安時代まで続き、東北地方を拠点としていた縄文人の社会は滅ぼされました。

こうして、伊勢神道と仏教を信仰の中心とする国造りが始まりました。
縄文人たちの拠点であった東北地方には禍をもたらす龍神=艮(うしとら)の金神がいるとされ、縄文の女神・瀬織津姫は、禍をもたらす荒魂として天照大御神の陰に隠されました。

聖徳太子の時代から縄文的な価値観を封じる政策が取られ始めたのは、中国に広大な領地を持つ強大な国家が誕生し、日本をそれに対抗することが出来る強い軍事力を持つ中央集権国家にする必要があったためと言われています。
近代日本でも、軍事的に危機的状況に陥った昭和初期、天皇陛下を中心とする一党独裁体制である大政翼賛会が結成されています。

このようなことは時代背景から言ってやむおえなかったと思われますが、人類の歴史は常に外部からの侵略に対する恐怖によって権力の一極集中が行われ、それが悪循環となって戦争が繰り返されてきたのです。


縄文的価値観と現代科学が統合する時代へ

フラワーオブライフ


世界中の宗教をミックスして「世界宗教」として統合することが出来れば戦争は起きないのではないかという意見がありますが、それは間違いです。
なぜならば、太古から現代まで世界で起きている戦争の大半は陣取り合戦、すなわち土地の奪い合いだからです。
日本の戦国時代を思い起こしていただくと分かりやすいと思います。

空気が誰かの所有物になって有料になったり奪い合いになったりすれば、大変なことになるのは誰でも想像がつくと思います。
土地も同様であり、土地を取り上げられることによって生きるすべを無くした人々は人類史上少なくありません。

戦争の目的とは、物質的な富を独占することです。
そして、富の基本となるのが土地です。油田も、金鉱も、水も、農産物も、家や工場を立てる場所も、すべて土地からしか得られません。兵力や労働力となる人民もその土地に根差しているものです。

家や道路や橋は人間による建造物ですが、大地や海は神が創造した自然のものです。
生きとし生けるもの全てに対して神から贈られた神聖な大地に、人間が勝手に線を引いて誰かの所有物とすることは本来間違っているのです。
したがって、その大地から得られる資源も人種や民族や宗教・思想の区別なく皆で分かち合うべきものです。

このように考えると、世界から戦争を無くす唯一の方法は人類が大地に対する考え方を改めること、すなわち縄文アニミズムへの回帰しかありません。
アニミズムとは宇宙の成り立ちを客観的に認識することであって、宗教ではありません。

「土地すなわち大地は誰のものでもない」という子供でも理解することが出来る当たり前の認識を土台とするならば、その土台の上でイスラム教を信仰していようがユダヤ教を信仰していようが戦争は起きないのです。

縄文回帰という言葉を使うと、しばしば科学の発展を否定するようなイメージが付きまとうことがあります。
しかし、人類が意識を進化させていくプログラムの中に科学を発展させていく体験が含まれていると私は考えています。
科学が高度化していくことに伴って、人類の意識をいかに高度化していけるかということが試されているのです。

縄文的な価値観と新しいテクノロジーがうまく溶け合うことによって、地球は平和で誰もが長寿で幸せに生きていくことが出来る惑星となるでしょう。
いよいよ、私たちの社会を縄文と現代が統合した自律分散型テクノロジー社会(ミロクの世)へ移行させていく時代に入ったのです。


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(やしろたかひろ) 

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